Sunday, December 31, 2006

Rainbow Bridge ライトアップ



東京湾にかかるRainbow Bridgeが見事にライトアップされていた。お台場側から芝浦側に渡りライトアップされたレインボーブリッジの写真を撮ってみた。今日大晦日から新年にかけて朝6時過ぎまでレインボーカラーでライトアップされるという。

レインボーブリッジを後に東京タワーがどうなっているかを見に行く途中増上寺には結構人混みが出来ていた。東京タワーはあまり変わった感じはしなかったが、これでもふだんより変わっているのかもしれない?

やはり大晦日の夜20時頃になると車の通りも少なくなって日比谷通り-皇居の外堀-パレスホテル前-江戸通り-浅草を通って帰ってきた

Friday, December 29, 2006

トートロジー(tautology)ってなんだ?

・広辞苑によれば、同語反復に同じとか、
・Wikipediaによれば、日常的な意味で「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって同じ言葉を繰り返すことである。
・他に「同義循環」とか「定義の中に定義されるべきもの自身が現れてしまっていること」との解釈があ。

この言葉で思い出すのは、イラクに自衛隊を派遣して国会質問を受けて答弁に立った小泉総理が、誰もが変だなと思っているやり取りがあった。

自衛隊をイラクに派遣するため特措法が作られ、活動の柱は人道復興支援活動と安全確保支援活動で、活動は非戦闘地域に限定されている。派遣された陸上部隊は創設以来、初めて戦闘地域ではない?のかと論議のあるような地区の支援活動を実施した。こういった中で、結構どこもかしこも攻撃を受けても不思議ではない状況の中でのやり取りであったと思う。

日本の自衛隊は、非戦闘地域にしか派遣しない。戦闘地域と非戦闘地域の定義が曖昧である中で質問で食い下がるが、このトートロジーのロジックであっけなく終わってしまった気がした。

じゃあ非戦闘地域とは何処かと聞けば、自衛隊が派遣されるところだと答弁。自衛隊はどこに行くのかというと非戦闘地域だという。正に同義循環で丸め込まれた感じがしていた。

Monday, December 25, 2006

留守宅は傷む?

留守宅にしている住宅は傷みの進み方が早いというが、やはり住んでいない家は結構あちこち劣化が進んでしまう。これは空気の出入りがなく湿気が籠もり、この影響でカビ、錆、材料の膨れが発生するのだろうか? 給湯ボイラー設備やポンプ等にもいえるようだ。

新年を迎えるのに自分の家だけが掃除もされていなく、ほったらかしでは近所迷惑にもなると思い、いわきの家の掃除に行ってきた。貸している時は、そんなことせずに済んでいたが、空き家となった今年は、自分で手入れをしないといけない。

特に大きな柿の木、アンズの木、キウイフルーツの蔓などがあるため、落ち葉があちこちに吹き溜まりを作ってしまっているのと雑草が生えてしまうのが見にくい。

また、ボイラーから水道接続部分の水漏れや、井戸水汲み上げポンプの赤サビ、リビング-台所の間仕切りパーティション(合板)のつり部分のねじ釘のすっぽ抜け等結構色々劣化が進んでいるのが目立つ。

今後は、結構遠隔操作が可能な設備ができるというので特に湿気の防止に換気扇などをリモートコントロールできると嬉しいと思うが、改修費用との相談になりそうだが、他人に貸す時は、リモートコントロールの場合は、監視されているような気になってしまうのか?

交通事情は、東京側は高速道路入口まで5分以内、いわき側も6~7分程度で家に着く。あとは高速道路だけのため、渋滞がないとdoor to door 約200kmの距離を2時間ちょい程度で行き来できる。こういう時の高速道路は、高速道路らしいと思う。帰りは、やはり9月にふれたいわき湯本の「さはこの湯」でゆっくり汗を流して帰ってきた。しめて、220円也。これは得した気分になる。単純な発想か!

Sunday, December 24, 2006

用材性ってなに?

ドイツのハイデッガーが「実在と時間」の中で用いている概念で、世界の内部構造を大工道具のハンマーの機能から説明しているという。その在り様においてまさに道具がそれ自身から自己を露呈するときの、その存在様式を私達は、用材性と呼ぶ。ハイデツガーによれば、ハンマーには「用材性」がある故に、使用されうる。道具の「用材性」とは、その道具が他の道具と相互関係にあり、そのような相互関連のもとで初めてその機能を発揮できる、ということであるという。

私には、なかなか難しくてその本質が全くと言っていいほど理解できていない。

もっとわかりやすく言うと次のような使い方をしている本があった。
例えば、普段は郵便ポストなど気にしない人でも、手紙を出さなければならない時になると、ポストが何処にあるか考える。これを「用材性」というそうだが、人間は自分の手段や目的に合わせて物事を把握しようとするという事のようだ。(インテリジェンス 武器なき戦争 幻冬舎新書より)

アメリカ合衆国が、イラク攻撃に入る口実としてサダム・フセインとアルカイダ(ビンラディン)が関係をもっているらしいということ、大量破壊兵器がイラクにある筈だといったこと、その情報がアメリカにとって好都合の情報であるから正に上述の目的に合わせた物事の把握となってしまったのか?

同じようなことが事の大小を問わず我々の身近な中でも往々にして起きている、敢えて起こしている人が如何に多いことか。余りにも他人を疑うというより自分の理解や検証で納得できた事にたいして表現したり行動することにしていきたいと思う。

Saturday, December 23, 2006

招待クリスマス会



今日息子夫婦と1才になった孫の所へ両家の両親が招待され昼から夕方までご馳走になってきた。食前酒シャンパン、ワイン、前菜、おつまみ、鶏ももロースト、手巻き寿司、デザートのケーキどれも美味しく頂いてご満悦。手巻き寿司のネタは時間指定で取り寄せたモノだとかとても美味しかった。
食事の始まり時には、孫はまだ昼寝をしていたが、シャンパンの栓抜きの音やまわりの音で飲み始めてまもなく起きてきた。普段より賑やかな人達がいるので最初はきょとんとしていたが、だんだん本領発揮。

12ヶ月半ちょっとで歩き出したこともあったが、それから10日も過ぎると結構よちよちだがしっかり歩くようになっていた。子供の成長の早さに驚きながら、動作や表情をいつまで見ていても飽きがこない程表情が豊かで面白い。食べ物は自分の手で掴んで食べるようになって食べさせる方が大変だ。

クリスマスプレゼントに貰ったおもちゃの音楽に合わせて体を揺すったり、手をたたいたり音楽を聴くと結構楽しそうだし興味がある様子だ。前から持っている絵本をすでに両親の所、嫁さんの父親の所に持っていって読んでくれとせがむ。1才過ぎるとこんなことをやったのかもう既に忘れてしまったが、子供の成長には驚かされる。

帰りは6~7分の所にLaLaポートがあるため立ち寄り、少しあちこちを散歩したが、クリスマスのためか人手が多かった。石川島播磨側ドックでは花火があがってちょうど良い時間帯に当たったようだ。
写真は、石川島播磨重工業の本社ビルの雪だるまイルミネーション。

Tuesday, December 19, 2006

伊豆の田舎

今年の年末年始は田舎に行けないかもしれないので、せめて一人暮らしの父の手伝いくらいはと思い家の中の片づけや掃除くらいしようと思い12/17,18で行って来た。

出発は17(日)の朝3時過ぎと早く出かけたせいか、首都高堤通から高速に乗り東名沼津で下り、土肥、堂ヶ島経由で南伊豆まで3時間程度で着いた。こんなに速かったのは初めてだった。帰りは、夕方南伊豆を出発し、下田、伊東、熱海、小田原と東伊豆半島側と西湘バイパス、第三京浜を通って帰ってきたため5時間弱であった。

高速をずっと使うか、基本は一般道と多少の有料道路を通るかで2時間位の差があるが、特に伊豆へ行く時の車の場合は、あまり時間は当てにならない。以前は、もう少し道路が整備されて短時間で自分の田舎と東京の行き来が出来るといいなと思っていたが、今になってみると地方は高速道路の開通によって余り便利にならない方が良いと思うようになった。

それは、祝祭日や夏など余りにも車・車で混雑して地元の人達にとっては、善し悪しの面がある。ホテル・旅館・民宿、観光関連の人達は潤う面があるが、これら都会から来る人達の影響が必ずしも地元の人達にとって歓迎する面ばかりではない。自然の良さがかなり失われてしまうし、どこも都会化やモラル、礼儀の低下が起きてしまう事が多い。

しかし、そんな中でも自分の生まれ育った所は心が落ち着き安心感がでる。都会の雑踏から離れるとしばし生き返る感じがする。何故だろう?不思議だ。

Friday, December 15, 2006

猿が道具を使う?その先は?

少し前TVを見ていたら、場所はどこか分からなかったが野生の猿が少し大きな石を両手で持ち上げ、食べ物の固い殻を割って食べているところを見た。そこの猿は一匹だけはなく他の猿も同じような道具を使うという。

同じように道具ではないが、宮崎県の幸島という所の猿は、サツマイモを海水で洗って食べるという。この習慣は50年くらい前にメス猿が始めたのが始まりだという。そのうち仲間の猿たちも真似をするようにイモを洗って食べるという。(日経新聞 京大教授 山極寿一)

誰もが見ている長野県地獄谷の猿は、温泉に浸かる。これは小猿が始めたものを他の猿が真似をして温泉で体を温めるようになったと聞いた。頭の固い大人ではなく柔軟で怖さを知らない挑戦者である所が味噌である。(カラスが道路に餌を落として車にひいて貰うなども見たことがある)

しかし、他人の行動をそっくり真似られるのは、人間だけだという。猿などは、部分的には真似られるが、後は試行錯誤で真似られるようになるという。何故人間はすぐ真似られるのかというと、すぐ他の人に同化してしまいその行為を繰り返すことが出来るからだという。特に自分が尊敬する人や憧憬をもつ人の動作は無意識のうちに身についてしまようだ。ここが人間と他の動物との違いのようだが、所がどっこい昨今の子供は他人を真似ることが不得手だという。(日経新聞 京大教授 山極寿一)

他人の行動をうわべだけ真似ることに嫌悪感を持ち、猿のように卑しいと思う深謀遠慮な考えに基づいているとはとても思えない。猿まねさえ出来なくなってきているのか?猿にも追い越される時代がやってきてしまうかもしれないと思うとぞっとする。

小学生が先生に暴力を振るう、先生の言うことを全く聞かない、集団で先生をボイコットする、じっとしていられない生徒や我慢できない、すぐカットなるなどの子供が増えている。学校は既に学校ではなくなっている所が相当数あるという。いじめの問題で先生がやり玉に挙がっている部分も確かにあるかもしれないが、全体バランスを見てマスコミも報道して貰いたいと思う。極端すぎる。生物は、DNAの違いから言うと殆ど変わらないというから、逆転劇も億年単位ではなく起こってしまう?とは心配のし過ぎか。

Thursday, December 14, 2006

企業体質は何故変わらないか

茹でガエルとか、大きな水槽に入れたカマスに例える人がいる。企業がじり貧になっていくことが目に見えているにもかかわらず、殆どいつになっても変わる気配を感じない。誰が責任を持って会社を経営しているのか目に見えない濁った薄暗い世界があるように感じる。

釣った鯛に喩えて「じっとしていてもすぐには何も変わらない。しかし、間違いなく腐る。それは、時間の経過が状況を変えてしまうから。いまは美味しいけれど、それは今の時点であって、今は既に過去になっている」・・・これは以前読んだ羽生善治と今北純一の対談形式の本「定石からビジョンへ」のどこかに書いてあった気がする。

企業によって経営者、管理者、組織力の差が余りにもありすぎる。経営者は経営者らしく、管理者は管理者らしく何故責任を持った仕事ができないのだろう?悪かった過去ばかり振り返るが、悪いと思う現状を修正しようとしない。なかなか難しいものだ。企業トップの大事さがよく分かる。そう言っている私は、何の権限も持たせて貰っていないが、でも何かを変える行動と姿勢だけは失いたくない。自ら挑戦する目標つまりミッションを常に掲げる事を忘れてはいけないと思う。

Monday, December 11, 2006

S.C御成門水泳練習会・忘年会



9:30~11:30定例のスイミング・クラブ御成門の練習会(港区御成門中学プール)。
最近男性陣の出席が多くなってきた。良いことだ。

各人ウォーミングアップ後に何をやるか相談し以下のメニューとしてやることとなった。

100m自由形×5本 2分半サークル
2分休憩
100m自由形×5本 2分半サークル

バッタ25m(足のみ)・帰り25m(コンビネーション)
バッタ50m(コンビネーション)

バック25m(足のみ)・帰り25m(コンビネーション)
バック50m(コンビネーション)

平25m(足のみ)・帰り25m(コンビネーション)
平50m(コンビネーション)

最後にお決まりコースの男女全員で2組に分かれ50mを2泳法での競争で締めくくった。
最初の100m×5本のサークルでのは、100mを1分35~40秒で、次の100m×5本は1分32~33秒で泳いだため、結構な運動レベルとなった。

夕方4時半から信濃町で忘年会だった。今回はメンバー関係の会社の厚生施設が取れてコースのフランス料理だった。食事後は夜景を見るため東京プリンスホテル・パークタワー33階スカイラウンジからクリスマスイルミネーションに飾られた都内を一望しながら二次会で軽く飲み、良い忘年会で特に女性は気に入っていたようだ。

Saturday, December 09, 2006

テレコムワールドでユヌス総裁挨拶

テレコムワールド香港開催(12/4~8)は、ITU本部のあるジュネーブ以外で30余年の歴史で今回が初めてだという。このような分野でもう少し日本が前面に出てもいいような気がするが、何故中国なのか?

市場規模で誘致できるというだけでは余りに芸がなさ過ぎる気がするが。もっと日本もこのような世界に発信する機会を積極的に設けるべきではないか?
事務総長?(Secretary-genaral)に日本人のUtsumi Yoshioさんという方がいるんですね。国際的に活躍している日本人がいるのは頼もしいと思いますが、海外開催が中国とはという気がしますね。

Yunus' remarks
グラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁はICTが貧困を救うためには最適なポジションにある。特に女性の継続的な収入を確保するためには貧困に置かれた女性が収入源を得ることが何より大切だと訴えている。そのために、3000の少額無担保融資(micro-credit)銀行で1億の人達に貸し出しを広げるために、世界の国々のICTへの参加者、参加団体が協力することが必要と説いている。発想が素晴らしいし、実行するところが見事という他はない。このような人々をサポートすべきと思う。ノーベル平和賞もこのような人へ贈られるならその価値を誰しも認めざるを得ない。

Wednesday, December 06, 2006

世界の富裕層1%が世界の富の40%を所有

国連レポート(The Guardianより)
James Randerson, science correspondent Wednesday December 6, 2006
世界の10%の富裕層が世界の富の85%を所有している。
世界の大人の人口の50%は富の1%しか所有してない。
ヨーロッパ、アメリカ合衆国といくつかのアジア太平洋の国民は突出した富を保有している。
アメリカに住む1/3と日本は世界のトータルの27%、英国6%、フランス5%の富を所有している。
世界の家庭財産の合計は125兆ドル。

家庭保有財産の順位(預貯金、負債、土地、建物、有形財産)(2000年データ)
1位   日本 $181,000
2位   米国 $144,000
3位   英国 $127,000

・・・
     インドネシア$1,400
下位近辺 インド   $1,100
最下位  多くのアフリカの国々
     北朝鮮

上記の値は、2000年現在の不動産や預貯金、負債を合計したもののようですが、日本人の一人として全くそのような感じになれない。何故なのだろうか?
それは余りにも世の中の心のすさみが進んでいるとか、物価が高い(生活費が余りにも高い)とか余裕のなさが影響しているのだろうか?

やはり心の余裕とか家族団らん、隣人・友人とのつきあい、地域との繋がりなど幸福感や満足感の無さ、文化や伝統に対する誇りを感じないなどあらゆる生活スタイルに於いて影響しているような気がする。これらが満たされて初めて富という数字の実感が湧いてくるのか?

Monday, December 04, 2006

携帯電話・インターネットも世界に遅れてる?

インターネット報告書 @ 国際電気通信連合(ITU*)が3日に発表されたという。(朝日新聞より)
先進国では、携帯情報端末、インターネットと共に急速な高速大容量化の時期に移行。

全般的に普及は急ピッチで携帯電話利用者が10億人を超えるのに21年間かかったが、その後20億人を超えるまでに3年間しかかからなかったという。
情報通信産業の市場規模は350兆円超(3兆ドル超)だと。

(1)携帯電話の世界の利用者数は20億人超。
これらの中で、携帯電話最大利用者数は、
中国 約3.9億人で世界一だが普及率(人口100人当たりの契約者数)は30で世界一のルクセンブルクの155と大きな開きがある。
日本は、普及率74に過ぎず55位と低い。

(2)インターネット利用者数は9億6500万人(約10億人に迫る)
利用者数内訳は、
米国:1億8500万人
中国:1億1000万人
日本:6400万人
インド:6000万人の順だ。
普及率はアイスランドが88で1位、日本は50で22位。
これまた日本の普及率は意外にも低いレベルだ。

ブロードバンドの普及率も27のアイスランドが1位、2位は韓国、日本は18で14位。
ブロードバンドに対応する携帯端末の普及率では韓国26に続き、日本14で3位。
ブロードバンドの料金は、100kbps当たり0.07$(約8円)に日本が一番安い。

こう見てくると我々日本人は、日本は全般的に最上位の位置にいるのかなという思いを持っていたが、井の中の蛙でした。

*Intenational Telecommunication Union
http://www.itu.int/osg/spu/publications/digitalife/docs/digital-life-web.pdf
但し、上記PDFにはstatistical annexは添付されていない。

スケートGPシリーズNHK杯男女共日本が独占

2006年度のNHK杯フィギュアスケートで女子、男子共に日本が1~3位を独占してしまった。

女子
 優勝:浅田真央
 2位:村主史枝
 3位:中野友加里

男子
 優勝:高橋大輔
 2位:織田信成
 3位:小塚崇彦

世界のフィギュアスケート界で日本の女子の実力は相当高いところにきているようだ。浅田真央の滑りは、ミスがなく本当に綺麗で満足の滑りだったと思う。今後12月14~17日ロシア・サンクト・ペテルブルグで開催されるグランプリファイナルに出場の浅田真央、村主史枝、安藤美姫には是非頑張って貰いたい。

GPシリーズはアメリカ・カナダ・中国・フランス・ロシア・日本の世界6カ国を転戦し、そのうちの2戦に出場するグランプリシリーズと、その合計ポイントの上位6名が出場権を獲得できる『グランプリファイナル』(世界最高峰の舞台の美の世界一決定戦)で構成されているという。

特に日本の女子スケートグランプリファイナルは楽しみだ。

Sunday, December 03, 2006

日本の社会政策費は最低水準か?

(12月3日朝日新聞より)
公務員数や国内総生産(GDP)に対する一般会計予算規模で日本は主要国の中で「小さな政府」の部類に入っているという。

しかし、非効率的で膨らんだ「大きな政府」との指摘も少なくない。
理由は、巨額の財政赤字(結果としてH18年度末日本の国及び地方の長期債務残高総額775兆円になるという)や今後高齢化で社会保障費の増加が避けられない事に加え、地方自体や歳出規模200兆円の31特別会計から公社・公団や公益法人に巨額資金が流れているためという。

独自財源を持つ公共事業関連の特別会計はその典型で、対GDP比の公共事業関連支出(地方含む)は、
 日本  3.7%(2004年度)で日本は突出している。
 英・独 1%台
 米国  2.6%

社会政策費(子育て・医療・雇用等)の支出はGDP比
 日本  19%で低水準
 英独仏 21~29%
 米国  17%

政府の定員、予算、権限を減らす取り組みとして歴代内閣が取り組んだこと。
1960年後半 佐藤内閣
 1省庁1局削減
 国家公務員の定員上限枠設定
1970~80
 行政規模の抑制
 一般会計歳出上限設定

 鈴木・中曽根内閣
 増税無き財政再建

1990年代 細川内閣
 規制の緩和・撤廃
 地方分権

2001 小泉内閣
 道路公団、郵政民営化

 政府の「大小」ばかりが焦点となって目指す役割を深く議論しないため、財政再建が主眼となり、各種制度の抜本改革に至らぬ歳出の一律削減で終わったり、好況による税収増加時には取り組みがゆるんだりと形整えに終始。

2006 安倍内閣
 簡素で効率的な政府として「国民負担の最小化」を目標に歳出削減を徹底することを掲げる。

歴代内閣が色々掲げてやってきているが、いづれも社会の安定に今最も重要な役割は何かという議論が進んでいないという。

安倍総理は、道路特定財源の一般財源化を実施するというが、財政再建が本当にできるのか消費税の議論を含めて社会政策費等どのようにするのかしっかり議論を見える形で早急にすべきと思う。参議院選挙前だといって与党が税の議論を先延ばしするなど古い体質の自民党は全く変わっていない。自民党が与党でいること、その中で聞こえの良い目眩まし政治をのらりくらりとやり責任を曖昧とする手段・手法が見え隠れする。国民の生命財産を誠心誠意守ろうなんて本気で考えていないといわざるを得ない。

Monday, November 27, 2006

自民党改革路線は何処への感

安倍晋三首相が小泉純一郎政権の改革路線を引継ぎ実行していくという言葉がどうも先行していたようだが、実際郵政民営化問題であれだけ自民党が国民にアピールした体制内改革とか旧自民党をぶっ壊すと豪語して新生自民党としてやっとやっていく機運が出てきたと思ったのもつかの間か。刺客を立ててまで戦った敵に対して復党問題のクローズアップに指導力が発揮出来なく、どうも体制改革路線から旧自民党の仲良し談合自民党クラブに戻ってきたような雰囲気となってきている。

来年の参議院選で単純な数合わせに終始する旧自民党そのものの本質は何も変わっていない。ただ数がいれば自分たちは政権与党として権力の座にずっと座り続けられる旨味があるし、言い方は、日本の国のため自民党のためなんて言っているがそんな方便は誰も信じない。

正に政治家は、その時その時でリップサービスが上手ければいつでも国民をだまし続けることができるとしか考えていない。国民もそんなにノー天気ではないことを強く認識すべき所だ。民主党小沢一郎党首の言葉を借りると「土台から腐っている家を障子とふすまを張り替えて体裁だけを保とうとする自民党」という政党に舌の根も乾かないうちに逆戻りしているのではないかという感じがする。

Sunday, November 26, 2006

ロボット技術の進歩スピード

11/25(土)日本テレビで種々のロボット技術の紹介をしていた。世界初と称してBoston Dynamics社の4本足歩行の犬形ロボットが58kgの重量を乗せて歩く姿や蹴飛ばしても倒れない動作を写していたが重心のコントロールだとかすごいと思ってみていた。

その他魚型ロボット、蜘蛛型ロボット、変身ロボット(芋虫型、車輪型、蛇型・・・)(産創研)、ウィルス型、ウミヘビ型、二足歩行ロボット(高西淳夫)、ランドウォーカー、バッターロボット、ナイスキャッチロボット、義手ロボット、車椅子ロボット(脳で操作)等本当に色々開発されているものなので驚いた。

バッターロボットは、野球のボールを的確に打つ、ナイスキャッチロボットは、ものを投げるとそれを補足したり、卵を上から落としてそれを割らないで補足するなど驚いた。

また、高西淳夫早稲田大学教授の二足歩行ロボットは人を乗せて階段を上る事が出来るなどバランスの取り方が凄い、また人型二足歩行ロボットでは足ものように従来の腰を落とした歩き方ではなく、より人間に近い腰股関節をしっかり働かせた歩き方で不格好さがなくなってきた。
このようにロボット技術の進歩には目覚ましいものがある。

Thursday, November 23, 2006

江戸の誘惑-浮世絵展


ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展を見に行ってきた。勤労感謝の日でもあったため大江戸博物館内は混雑していた。菱川師宣、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重・・・らの肉筆の浮世絵がボストン美術館からやってきた。

明治時代に来日したアメリカ人医師ウィリアム・ビゲローは浮世絵を買い集め、その殆どをボストン美術館へ寄贈したそうだ。ここで見所なのは、世の中に1点しかない肉筆の浮世絵が700点近くも見つかったということでその価値は大きい。今回は、約70作品ほどが展示されていた。これらが日本に里帰りするのは1世紀を経てということだ。

江戸時代の遊女・芸子など非常に特殊な日本文化を育み、その遊女・芸子、街の有様を子細に表現している繊細さには驚いてしまう。磨かれた芸術家の表現力には感心せざるを得ない。普段余り美術・芸術には縁遠いものにとっても結構楽しめたのは、音声ガイドがあったためか。ズブの素人には有り難いものだ。

常設展では、写真家 荒木経惟の「東京人生」として懐かしい戦後日本の復興期の写真数多く展示されていた。生まれが東京の下町、三ノ輪に生まれ育ち、三河島での小学生の兄弟や仲間の屈託のない生活や遊び姿を生き生きと表現していて、南千住に居を構えて住みだした住人としては何故か親しみを覚えた。

Wednesday, November 22, 2006

遅発性筋肉痛だった?

運動後すぐ起きる筋肉痛と24時間~72時間後に起きる筋肉痛があり、後者を遅発性筋肉痛というらしい。腕相撲で負ける時の力こぶや階段を下りる時の太もものように筋肉が縮もうとしても実際は伸ばされている「伸張性運動」で特に現れるという。

これは筋や結合組織が損傷して痛みが起こると考えられるとのこと。年齢が進むと遅発性筋肉痛になると言われているが、運動生理学の野坂助教授によると年齢による違いはなかったという。遅発性筋肉痛を早く回復させる方法はなく、マッサージや抗炎症薬など実験しても、顕著に効果があるものは見あたらないため、予防が大事だと。遅発性筋肉痛は一度経験すると同じ運動なら1ヶ月後まで起きにくくなるようだ。

更に、一般の人の感じ方で筋肉負担が異なることは、登り坂と下り坂で筋肉の働き方は、登り坂では下肢の多くの筋群がより高い位置に体を移動させるため、より大きな仕事をしながら短縮する。逆に下り坂では、筋が力を発揮しながら伸張されることによってブレーキを掛けるように作用する場合が圧倒的に増える。
筋肉の立場からいうと下り坂は必ずしも楽とはいえなく、長い下り坂を走った直後に、膝が急に定まらなくなり、走るのがきつくなる事があるという。

これはおそらく強い力学的ストレスによって筋線維の中の、力を発生するために重要な構造や筋線維の細胞膜に微小な損傷が生じ、その結果急激な筋力低下が起こり、その結果急激な筋力低下が起き、肘屈筋では、最大筋力が平均60%位にまで低下することもあるようだ。

このような事を利用したトレーニング法を行っている人達も随分居るようだ。この理屈は全然知らなかった。

Sunday, November 19, 2006

科学技術の進歩はまだまだ

今日日曜日は朝から新聞を見たり、テレビを観たり少しゆったりした過ごし方をしていた。正午過ぎからの東京国際女子マラソンは、雨の中土佐礼子(三井住友海上)が優勝を飾ったが、高橋尚子(ファイテン)は惜しくも尾崎朱美(資生堂)にも抜かれ3位となった。勝負の世界は厳しい。気象条件は誰にとっても同じであるが、雨の場合は体温をどんどん奪ってしまうため個人差が激しくなる気がする。前半線は、余裕であるかのような走りに映っていたがじりじりと体力消耗(体温が奪われる)が進んてしまっていたのか?高橋尚子の応援者としては残念。

体温の話が出たついでに以前から、熱エネルギーを得るため一番身近な恒温動物のエネルギー生産システムを人工的に作り出すことにより、より効率的に熱源を得られ、ひいては地球温暖化防止対策も含めた地球環境に優しいエネルギー生産システム(暖房)ができるのではないかと単純な発想が頭の中にあった。

ところで恒温動物の体温維持のためのエネルギー生産の効率はどの程度あるのだろう? 栄養素が分解したエネルギーがアデノシン三リン酸(ATP)に移行するエネルギー代謝効率は66%?といわれる。ATP→アデノシン二リン酸(ADP)+リン酸+エネルギー) このような生化学反応は理論としては、分かっていてもその装置を作り出すのは、どの程度まで近づいているのだろうか? あるいは、そんな装置を考える程の価値がないのだろうか? 生命科学や生化学を知らない者の戯言なのだろうか? 使い道は結構あるように思うが。

「高度に科学が進んでも、今ある人類のいかなる英知を駆使しても、世界中の国々の科学技術予算を全て費やしたとしても、1cmにも満たないアリ一匹の持つ全ての機能-すなわち生命体-と同じものを、同じサイズで人工的に作り出すことは現在のところ不可能。

アリ一匹の中に膨大な情報機能が集約されていて、人類はそれを全て解き明かした状況に至っていない。ましてや、アリは集団生活をし、集団なくしては個体の存在はあり得ない」という。

上記「 」内は、「科学する心-アリンコ提言-」トロント大学 医学部教授 伊倉光彦博士「蛋白質 核酸 酵素 VOL.50 NO.12(2005)」より抜粋引用

科学技術の進歩はこれからも一歩一歩ではあるが、急速に進歩・進化しているためアリンコロボットの夢も夢ではなくなるのはいつになるのか? 体長に対して歩くスピード、餌を引く力、帰巣本能などなど興味深い。

政治家倫理と企業倫理はいずこへ

つい最近のことでいえば、福島県知事佐藤栄作と和歌山県知事木村良樹の逮捕、更に疑惑が出ている宮崎県知事安藤忠恕、岐阜県の裏金作りなど呆れんばかりの私腹・親族肥やし事件が次々に明るみに出てくる。これもただ単に一つの県にたまたまお粗末な知事がいたというだけでは説明がつかないシステムの問題だ。

公共工事の発注調整談合等権力(権限)者側の便宜の見返りとして巨額の賄賂を受け取る構図や、発注側最高責任者の意向を企業側は、ぎりぎりの所を越えて会社のため、自分のためにしないといけない、やらねばならない、せざるを得ないと考えるのが今の日本の企業、社員の姿か?また、このような企業の弱みを巧みに利用しようとする意図・意向を陰に陽にあらゆる機会を使って表に出す権力・権限者。なんともおぞましい。

世の中あたかもきれい事や問題がないかの如くまかり通っているものが多いが、権力者・権限者の意向が世の中にどれ程影響を与えているか、表面には出ないがそのあくどさは言うに及ばない。

このような権力者の長期政権の弊害がいくら言われてもそれを改革しようとしない議員もまた同じ穴の狢といわれても仕方あるまい。これは国政を預かる与党にも言える。同じ政党政権が長く続く弊害と官僚とのもたれ合い、官僚の代弁者となる大臣、県知事、町村長皆同じである。例外なく、長期政権や連続しての多選ができない仕組み作りが全体として絶対必要だ。

財政破綻した夕張市、岐阜県の裏金問題、北海道警察の裏金問題、各省庁の裏金問題など公金を扱う所の徹底した情報公開が必要であることは論を待たない。

一方企業側も企業倫理を声高に叫んでいるかの如く振る舞っている所が多くなってきていると感じているが、なぜこれほどまでに企業倫理意識が向上しないのだろうか? 発覚するのは氷山の一角でしかないこと、罰則が甘いことが、発覚は運が悪かった的な意識となりそのような機運を助長させているのか?これはやはり経営のトップが全責任をとって打ち首になるくらいの緊張感のある法律に頼る以外にないのか?

Wednesday, November 15, 2006

一歳の孫


昨日で長男の子供が一歳となった。
世の中の人々が、孫は本当に可愛いという言い方をよく耳にしていたが、私にとって自分たちの子供同様それ以上特別な感じを実は持っていなかった。しかし、いざ孫が生まれてみて、真っ赤な顔をして小さな手足をふるわせながら泣いている様子をを見たり、にっこり笑って愛嬌のある顔をしたり、はいはいをしたりと色々な表情を見せられると可愛さが特別に感じられるようになるものだ。不思議なものだ。

これからの子供は人口減少の余波を受けて大変な時代を生き、荷物も背負わなければいけない事を考えると余り喜んでばかり入られないのかも知れないが、いずれにしても健康で逞しく元気に育って欲しいと願う。

我々の年代が出来ることは、若いカップルの子育てを如何に手助けしてやることが出来るかにあると思うが、具体的なこととして何が出来るかなかなか難しい。甘やかせることに荷担することなく、しっかりした一人の人間になって貰うようけじめやしつけなど親の目の届かない所をせめて手助けしてあげたいと思う。

映画「ありがとう」試写会


1995.01.17 5:46 阪神・淡路大震災が発生した。
この大震災発生時の最中及び復興時の古市忠夫さんとその家族、鷹取商店街地区の住民、全国からのボランティアの方々の人間模様をリアルに表現した映画で、興味深く鑑賞し感涙する場面が幾度かあった。

特にこの映画がスポットライトを当てている古市忠夫さん(57才?)が震災後目指すプロゴルファーテストを突破しようと、現実にはとてつもなく高く・難関であると思われる夢の実現に向けて頑強なまでにこだわり、追求する姿に感動を覚え感心させられた。

一見、人は弱く、平々凡々がいいという人も世の中に大勢いるかもしれないが、実際には、衣・食・住足りても夢や希望がないといきいきと生きていけない。今自分が生きていることに対する自分の認識・理解の仕方によって、その後の人生は大きな開きが見られ、周りの人に与える影響の度合いも異なる。

多くの人は”才能と努力と運”が成功には必要だというが、万田監督は、一番必要なものは”考え方”。自分は生かされているんだと、チャレンジできるんだという考え方。それは感謝の気持ちでもある。どんなに努力しても、頑張れる事への感謝「ありがとう」という気持ちがなければ勝てないという。

今まで名声、地位、お金が大切だと思っていたが、震災後は考え方は大きく変わったと。一番大切なのは人を思いやる心、いたわる心、感謝、友情、積極性なんだと。大震災直後、妻・子供、親兄弟など肉親が目の前でがれきの中でもがき苦しんでいる中、迫り来る火災などから助けることもできず、ただただ茫然と見過
ごさざるを得なくなってしまいながら生き残った人々の使命は、亡くなった人への鎮魂、供養だと。この震災が教えてくれたことは一生変わらないという。

一生懸命に生きなければダメだけれど、人生そんなに断崖絶壁ばかりじゃないから大丈夫。この映画を観て大震災後の人々の助け合いなど生きる希望と勇気をもって欲しい。人間は決して一人では生きられないということを感じ取って欲しいと仙頭プロデューサーは言う。

最近小中学生のいじめにより自ら命を絶つ子供がいるが、周りの誰かに相談しさえすれば決して一人ではないことを感じてくれるはず。このような映画を通じて少しでも夢と希望を持ち続け、力強く生き抜く力と夢に向かって諦めないでやることがどんなに素晴らしいことかを感じて取って欲しいと思う。

Sunday, November 12, 2006

ダイヤモンド富士?が見えた



2006.11.12(Sun.)東京は朝から風が強かったせいか良く晴れ渡った。そのお陰で我が家からは富士山がよく見え、頂 上には既に真っ白な雪がたくさん積もっていた。

港区にいた頃は殆ど富士山を含めて関東から見える山々は気にしなかったが、荒川区に来て朝起きるとリビングルー ムから窓越しの正面に富士山が見えるのが何とも清々しく感じられるようになった。

風が比較的強く良く晴れ渡った日にしか見えないということは、工場や自動車等の排気ガスの煤煙や浮遊している粒 子状物質の影響により大気が汚れていることを示している。この南千住から富士山までの直線距離は120km前後位で あろうか?(道路距離で約150km程度だからの概算)

因みに富士山3776mは、見る人の目の高さを1mと仮定すると本州のどの程度の距離からなら(大気汚染がないような) 理想的な場合に見ることが出来るのだろうか調べてみると239km程度からは見えることになる。すると東京より更に 北東方向の水戸辺りからも見えるのかな?

地球温暖化が地球環境に及ぼすさまざまな影響が問われ、懸念されている中もっともっと地球に優しい暮らし方の必 要性を感じるようになった。

Wednesday, November 08, 2006

学生の質の問題

高校の必修科目未履修の問題が大きく騒がれているが、日本の子供たちと親が目指すゴールは有名大学入学だといわれて久しい。

高校生以前の小中学生にあっては、時の文部省が「ゆとり教育」の名の下に推進した結果、学力ベルの低下が問題となっている。これだけいわれていながら依然としてちょこちょこした小手先の体のかわし方でその場を過ごしてきているがとうとうどうにもならなくなったという所迄来ているのか?

今日のNHKクローズアップ現代「読み書きが出来ない若者対策は」と題して報道されていたが、大学生や社会人が小学生程度の漢字が書けない、漢字が読めない、意味が分からない、言葉を知らない、文章が書けない等惨憺たる事実に直面しているという。そういう自分自身も同じ穴の狢的な所があるが、それにしてもひどさの程度が違いすぎる気がする。

安倍総理は教育改革を公約に議論を始めているが、小手先の改革で生徒、先生、親、社会が振り回されることなく、長期的に取り組んでみたいと誰しも思える改革にして欲しいと願う。

今日の朝日新聞にはアメリカの大学生の一般教養は、名門大学といわれる所でも新入生に比べ4年生の方が成績が落ちているという調査結果(ISI:米国の大学間学問研究所)がでているという記事があった。これが日本と比較してどうかは分からないが、どこも教育については頭の痛い問題となっているようだ。詳細は、以下のURLを参照。http://www.americancivicliteracy.org/

Saturday, November 04, 2006

母校がなくなる

自分が学んだ学校(母校)は格別の愛着があるように感じる人が多いと思うが、私の場合既に小学校、中学校はとうの昔に学校の統廃合により姿を消している。更に追い打ちを掛けるかのように高校教育を受けた学校が来年3月をもって閉校することが既に決定している。

このように学校がなくなることには一抹の寂しさが感じられることは事実であるが、私の場合それ程その姿・形にこだわりがあるというわけではなく、それ程のショックが有るようにも受け取っていないし感じられない。

これは、担任の先生やクラス仲間との関係、クラブ活動などを通じての上級生、下級生という形で色々指導をされたり、指導したりしてお互いの関係を強く持ったり、感じて青春真っ盛りの時期を過ごしたことは確かだが、その関係以上の繋がりが学校という物理的な形で有るようには思えないし、現実思っていない。

これは、お互い同じ教室で良きにつけ悪しきにつけ同じようなことで悩み・苦しみ・楽しんだ仲間達が居なくなるわけではないため、学校という有形の姿や形にはそれ程こだわりがない。仲間はいつになっても同じ仲間だし、一緒に学んだという事の事実がなくなるということはあり得ないからである。同窓会等もそれ程頻繁ではないがやっている。

義務教育の学校の統廃合は、単に人数の問題だからそれはそれとして単純なルールに則っているため諦めがつく。しかし義務教育以上となるとちょっと趣が異なる部分がある気がする。そこは目指すべき教育に対する理念があるからで、この理念が時代と共に失われていくということは有形のものが無くなる以上に残念さ・無念さが多少残る。

それはいくら高邁な理念を掲げていても、それが表面上結果として目に見える形や思い描く価値として発揮できていないように思われたり、あるいは発揮していないように短期的には見えることにより、本当は理念の下にはしっかりした下地(カラー)が出来ていても、それがもっと鮮やかさを期待する人達に満足や共感を与えることに繋がらないからである。アメリカ式の自由競争社会の結果といえば二の句が継げなくなるが・・・。

残る最後の大学がなくなることは殆ど心配する必要はないと思うが、それとて大企業が一夜にして破産してしまうような世の中なのでこれとて先の将来まで安泰であるかどうかは分からない。いずれにしても姿・形が重要なわけではないと思いながらも、その時は多少の寂しさを感じざるを得なくなるのか?

サイボーグ技術が人間を変えるを見て

(NHKスペシャル)
章立ては次の通り。
1章 脳の信号を利用するサイボーグ技術
2章 脳は機械に合わせて進化する
3章 脳が機械で調整される
4章 脳が全ての機械と直結した

このNHKスペシャルで立花隆氏が言いたい事・問いたい事は、「物質文明の行き着くところはどこか?」とか、「人はいったいどこへ向かって行くのか?」といった事に対しての人類のコンセンサス作りを早急に確立する必要があるということだろうか?

ついちょっと前までは、サイエンス・フィクションだと考えられていた事がもう既に現実になりつつある。これは「機械」と「体」と「神経」が一体化してしまうまでに技術が進歩してしまっている。

ロボットと人間をつなぐサイボーグ技術(脳からの電気信号を読み取る技術、脳は電気信号に合わせて進化(変化)する適応力の存在、電気信号から脳への逆指令技術)を利用し神経工学や新しい科学によって視覚障害、聴覚障害なで全盲の人が機械の目を使うことや、人工内耳(耳近くの内部に埋め込まれた機器で音を電気信号に変換し、聴覚神経を通して直接脳へ信号を送る)を利用することが出来るまでになっている。

更に、治癒困難なパーキンソン病・ジストニア(身体の1つまたはいくつかの部分の筋肉が不随意に収縮し続ける結果, 身体のいろいろな部分でのねじれやゆがみが生じる病気)など脳内の奥深い部位(大脳基底核)刺激による治療法の模索など脳深層部刺激治療など人間を取り巻く医療?技術、ラットの人工海馬の完成などの進歩は留まるところを知らない程急速に拡大進歩しているという。

我々は、サイボーグ技術の利用に関して法的に倫理的にどこまで受け入れられるのか等生命倫理に関する問題は尽きないがしっかりとすべき時期に既に入っていると感じる。
人間の生命の重さは地球より大きく重いといったキャッチフレーズは、誰しもそう思うが現実の世界・社会はそうはなっていない。しかし、そのギャップが余りにも多すぎる実態との狭間であっても人間社会が理想とする生命倫理の確立が早急に求められている。

臓器移植に関しても何年経ってもまだまだ患者側、治療側の関係でも明快・明確さがないままどちら側もいらだつ中、治療現場は運用をせざるを得ない状況で結果が問われてしまう何とも無責任な引き延ばし、放置など国など行政側の責任は大きい(国内移植はダメだが国外移植は見過ごすといった事に対して、当事者は当たり前のようにいくらお金を掛けてもやりたい、それは募金で集める・集まるといった状況を放置しているとしか見えない)。一度決めたものは未来永劫と考えている理想主義者ばかりの寄り集まりになっているのかどうかわからないが、必要なら現状の知見・技術の進歩ではここまでの考えしか及ばないということを明記してでも、きちんとすべきと感じる。(このフレーズは蛇足)

サイボーグ技術が人類を変える
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0011/l1105.html
http://sci.gr.jp/sci/project/cyborg/
http://www.io.mei.titech.ac.jp/jsao2006/message/tachibana.pdf

Sunday, October 29, 2006

指導者の力量とは何か?

44年ぶり日本シリーズ優勝の日本ハムファイターズヒルマン監督、前年優勝の千葉ロッテマリーンズバレンタイン監督、今年セリーグ優勝落合監督どの監督を見ても個性が光る感じがする。日本でいう従来からの優等生監督ではないところが面白い。

しかし、ヒルマン監督を支えた日本ハムファイターズの首脳陣にも伏線があったことは勿論だと思うが、それを活かしたやはりヒルマン監督のリーダーシップが日本ハムファイターズの選手を変えさせる方向に目覚めさせたことは間違いない気がする。2005年5位、2004年3位、2003年5位だったという。これを盛り上げるにふさわしい新庄が居たことも相乗効果となっている。

ヒルマン監督は、従来からのアメリカ野球の流儀をやめ戦術面で犠打がリーグ最小から今回最多になったことに象徴しているという。ヒルマン監督は選手に自由を与えていた時は、なぜ選手が戸惑うのか理解できず、新渡戸稲造の「武士道」等を読み日本人のメンタリティーを勉強しようとしたという。自由という枠を維持しながら試合中は選手に明確な仕事を提示したことが最高のパフォーマンスを引き出すのに繋がったという。二人のアメリカ人監督が示した「自由」に対するアプローチの違いが明暗を分けたという。

このように何が人間を鼓舞させ最高のパフォーマンスを発揮できるようにするのか管理・監督・指導する人達によって結果が違うことがスポーツの場合明確にわかり易い。このような事は世の中ありとあらゆる所でいわゆる「コーチング」なる指導法が出回って、ある程度の企業では当たり前のように社員教育・部下の指導にも使われているが、教育界では高校の履修科目の問題以上に、文部科学省をはじめ教育委員会など旧態依然というより日教組時代の悪弊がそのまま横行しているか、自己組織保身のための論理でしか動いていないことが明らかになっている気がする。いじめによる自殺の問題にしても年々減少しているなどの調査結果が出ている事など明らかに実態を反映していない。

文部科学省、教育委員会、学校など個々を見れば立派な方が多いかもしれないが、教育制度という中では組織の解体的な見直しが必要に迫られているものと感じる。

一方、学校教育という面では、メディアの側にも色々責任があるように感じる。学校で先生が生徒をしかることが即いじめに繋がるような発言、報道、人格を無視したとか実態があたかも分かったかの如くの報道が多すぎる。更にその叱られた生徒の親の発言等をバックに、一方的な報道の嵐となる。そこで先生・学校は萎縮してしまい、本来の生徒への指導が出来ない、やらない方が良いとなる気がしている(問題になりそうなものには拘わらない、何もしない症候群的な心理が植え付けられてしまっている)。

いずれにしても野球といえども監督の指導・助言、更には教育といってもいいと思うが、結果が目に見えるほど異なることは昔から言われているが、この指導者がどれ程大きな役割を果たすか良く分析した記事が「読み解く スポーツ」として朝日新聞土曜版(生島淳著として)に掲載されていて興味を引いた。今の教育再生の問題と絡まって興味深く読んだ。教育という文部科学省を指導監督するものは誰なのか?最終的には議員の先生方を選ぶ選挙民に来る気がするが、ここはやはり官僚組織ということになるのか?

Saturday, October 28, 2006

インターネット高速電力線通信

数年前から家庭内配電線からのインターネット接続の有望性がいわれて久しいが、今年9月14日に高速PLCに関する総務省の発表が出され、家庭内配電線を使ったインターネット接続が可能となったようだ。10月28日の朝日新聞土曜版に記事が載っていた。 (Power Line Communications)

これは家庭内電源コンセントに通信機器を接続するだけで家庭内ネットワーク(LAN)が構成できLANケーブルがいらなくなるという。従来はLANケーブルを使いたくない時は、無線LANにするしかなかったが、今後はPLCという選択肢が生まれるということから利用者としては大歓迎だ。実行速度は70Mbps位になるという。今私のマンションはFTTHで100Mbpsであるというが夜の速度がなんだか7~8Mbps程度しかでないときがある。

上述のHPによると既に海外では、実用的に利用されているところもあるという。・米国では、ブッシュ大統領のPLC推進に関する声明で国民が米国中どこからでも高速インターネットにアクセスできるようにすべきという号令の元連邦政府関連機関に手続きを簡素化するよう命令を出しているという。アメリカでも色々な規制があるように日本では規制の壁を乗り越えるのが実に長かった気がする。

その他海外では、結構進んでいるようだ。
欧州
・スペイン最大手の電力会社(Endesa)が複数エリアで実証試験を実施。・ドイツのマンハイムではPPC(Power Plus Communication)が、商用サービス中。(2000軒規模)・英Scottish & Southern電力公社がスコットランド地方にて実証試験中。・オーストリアのチロル地方で学校やホテル等の公共の場所で実験中。
アジア
・中国では、国家電力の関連会社である中電飛華通信有限公司が2001年頃より北京市内で実証実験中。・韓国では、2002年にPLCの実証実験が許可され、ソウルや済州島で実証試験を開始。・香港では、2002年からホテルおよび集合住宅において商用サービス開始済み。規模は数千軒。・シンガポールでは、通信料金の価格破壊を狙って、電力系通信事業者が設備コストの安価なPLCで参入を検討中。等となって現在ではもっと進んでいるものと思う。

日本では接続機器がメーカーによってこれまた互換性がないという問題が出るという。HDDVDかブルーレイディスクかの問題も含めてもう少し利用者の側になって貰いたいという気もするが、いずれ淘汰されるか、さらには、隙間産業として互換性を目指すメーカーが出てくるなどもあると思うが、そのツケは利用者を経て結局はメーカーに戻ることになる。

今の日本では、デジタル・ディバイド(情報を持つ者と持たない者との格差)の問題がかなりあるように思う。比較的年齢が高く・企業の中でもパソコンを使わない職種の人等には、我々が当たり前のように使っているインターネットやワープロとかエクセル等殆ど使わない人達がかなりいるように感じる。使わなくても暮らしていけるが、使うともっと便利になるということの実感が湧かない状況の人達。今では小中学生がインターネットを学校で使うということが当たり前のようになっているが、そうではなかった時代の人達にはこのPLCを契機に日本全国あまねく使えるようになることがまず必要と考える。年内には接続機器が販売されるというが価格もどの程度か気になるところである。

Tuesday, October 24, 2006

猫のおしっこの臭い

以前から気になっていた事の一つに猫のおしっこの臭いのきつさに閉口したことと、何故あのような臭いとなるのということであった。それは以前住んでいた我が家の庭にどこからか猫がやってきては同じ所辺りにどうもおしっこをしていくようだった。その臭いは何ともいえない強力な臭いだった。何故あのような臭いとなるのか頭の中に強力に残っていた。

そんな中、何気なし姉と電話で話をしている中で猫のしつけが出来ていない人が住んだ家の中がものすごい臭いだという話をしていた。多少の臭いのきつさはそれ程気にしない人でもあの臭いはどうも大変だと話をしていた。

すると翌日の朝日新聞に「猫のおしっこ、なぜくさい」という記事があった。においが強いのは、尿に含まれる特別なタンパク質のせいであることが分かったと。(岩手大学 平秀春教授と理化学研究所のグループが米科学誌ケミストリー&バイオロジー10月号に発表)健康な動物では、尿の中にはタンパク質はほとんどでない。ところが猫の尿には、大量のタンパク質が含まれているという。このタンパク質は腎臓で作られていることを突き止めコーキシンと名付けた(猫は好奇心が強いからとのこと)。これが、フェリニンというアミノ酸を作り出すのを助けていることを発見した。フェリニンは縄張りを示すにおい物質や異性を引きつけるフェロモンの元になるといわれる。コーキシンとフェリニンは、生後3ヶ月から尿内に現れる。雄は多く、雌や去勢した雄では少ないという。

コーキシンの合成のじゃまをする方法を見つけるとにおい対策になるという。web上で消臭剤を見てみるとアンモニアを強力に分解するものなどいろいろ出ているようだが、この論文がいま発表されるような状況では、消臭剤と称する消臭剤は、周りを攻めているまがいものが多いということなのか?

第10回千葉マスターズに参加


10/22に仲間達と千葉マスターズに参加してきた。エントリーは100m,50mの自由形としていた。100mは午前9:30頃、50mは14時頃であったため8時半に会場入口で仲間と待ち合わせた。千葉国際水泳場は京葉線新習志野駅のため8:30に着くためには家を少なくとも1時間程度以上前に出ないといけない。電車乗車区間だけで所要時間が約60分であったため7時頃出発し、新習志野までは幾つかのルートがあったが、今回は、南千住(日比谷線)-秋葉原-西船橋-南習志野-新習志野のコースを辿った。このルートは初めてだったが、どうも西船橋から南船橋は東京側に向かうのに方向感覚がおかしいような気になったが無事着いた。

今回の千葉県マスターズ参加者は、約2,000人,参加種目人数約3,500人と相当な人数だった。100mはいつもオーバーペース気味になるため気持ちを抑えた結果、自分の最近の記録としては長水路記録ではまあまあの記録1'15"69だった。50mは32"74で想定より遅かった。100mはやはりペース配分が最終タイムにかなり左右する感じがしたが、いつもその気持ちを持って望むがなかなか思うようにいかないものだ。
今回の大会では、世界記録が23日に2つ、日本新記録が5or6出ていた。やはり それなりの練習を積んできた人達だと思うのと、北海道から九州まで参加県が多くレベルの高い大会となっている気がした。10回連続出場者表彰状の授与を鈴木大地が行っていた。

話は変るが、先日TVでソウルオリンピックで鈴木大地がいかにして金メダルを取ったかを特集していたのを見た。練習の凄さと決勝戦の心理戦術と行動などそこまでとは言わずも誰もがそれなりの練習をしないことには駄目であることは必然だと思う。自己記録を伸ばそうとするためにはそれなりの努力と研究が必要ということを感じさせられた。

Monday, October 16, 2006

母の三回忌に思う

84歳で永眠した母の3回忌に伊豆に行ってきた。早いものでもう3回忌となってしまった。年に5~6回前後しか行っていないのでせめてもこういう時にはお墓参りをしないといけないと思う。脳梗塞で倒れて13年間一日も欠かさず母の面倒を見てくれた父も現在88歳、感謝の意味でも皆が集まってやることが父への励ましに繋がるものと思う。母の想いはいろいろあるが、それにも増して母の晩年を介護の明け暮れで自分の天命として看病・リハビリに明け暮れ、尽くした父の強靭な精神力・忍耐力に頭が下がる思いがしている。

それに比べ今の自分たちは、何とも苦難を苦難と思わない精神的な強靭性・忍耐力についてもっともっと学び、養わないといけないと思う。人は物事をどう捉えるかによって同じ事をやっていてもその姿や周りに与える影響力がまったく異なる。他から見ると辛いこと、大変なことを何とも態度や口に出さずやってしまっている人がいる。本当はどれ程辛く大変なことであるかに違いないと思うこともある。それに自分が甘えてしまっては申し訳ないと思いながら、ついぞ任せてしまっていたような気がする。鍛え直しが必要と思う。

Saturday, October 07, 2006

携帯機種変更価格って何?

今使っている携帯のバッテリーが弱ってきたので、電話番号は今のままにするため機種変更で対応しようと秋葉原へ出かけた。どんな機種が良いかも調べずにいって店頭で聞いた。今使っているのが東芝製だから同じような操作で出来る東芝にしようと考えたが希望の色がない。それではと思い別なEddy付きの携帯にしようとしたら、これもまた色がない。価格的には、2年弱しか使ってないので機種変更は前者、後者とも8,100円で携帯ポイントを使ってもまだ足りないという。その店のポイントカードを持っていたので調べて貰ったら1500円分くらいあるという。結局両者とも気に入った色がないためその店では買わなかった。

そこで別の店に行って同じような型や機種変更で同価格の携帯を見せて貰ったら、こちらの店では、なんと携帯ポイントを使って無料になるという。何かおかしいな?と感じざるを得ない。更に、携帯で撮った写真をパソコンに取り込むのにUSBケーブルが欲しいと確認したら、この店には置いてなくて本店で別売りしていると言う。

旧携帯からデータ移植のため1時間くらい時間を欲しいと言うことなので、秋葉原のいくつかの小物屋を見ていて、店員に携帯から写真をパソコンに転送するUSBケーブルを置いてるか聞いたら1,980円であるという。買おうとしたが正確な電話機種が分からないと合わない可能性があるとのこと。

それなら新しい電話を受け取ってからもう一度来るといって店員に告げ、その店内を眺めていたら、石○から電話があり、新しい携帯電話には、USBケーブルが付いているという。なんとまあこれも買わなくて済むことになった。

二人で出かけたので、夕食は韓国の家庭料理という店に入ってお酒・食事をしても、まだ携帯を買う積りの金額に届かなくお釣りが来たような気分で良かったような気もするし、いったい携帯の値段とはどういう基準になっているのかという気がする。

敗者復活戦とは何か?

プロ野球パリーグでは、今年もプレーオフが今日から始まった。また、来年からはセリーグもプレーオフが始まるという。7日朝日新聞に「「敗者復活」は自殺行為だ」という豊田泰光 野球評論家の記事が載っていた。確かに日本プロ野球12球団中6球団がプレーオフに参加できるというのは、ペナントレースは何なのかという疑問が大いに湧く。米大リーグは、30球団中8球団だという。年間140試合もやっていてプレーオフがあるのは、何ともおかしな仕組みだと思わざるを得ない。

これが柔道とか相撲で敗者復活戦で第三位を目指すというのは、全く問題視するつもりはない。プレーオフでの勝者同士が戦って日本一というのはどうも意味合いが違う。ペナントレースで6ヶ月も戦って長くて苦しい結果として勝者が決まる。このセパの両者が戦って初めて勝った方が日本一と称するに値するし、意味合いがでてくる。

このように紛らわしさをあたかも紛らわしいと言わせないで、その世界の関係者だけでやっていることが、徐々に凋落の一途を辿ることに繋がっていくことに気がつくべきだと感じる。正に豊田氏が言っていることに同感する者である。野球のひいきチームはないが、金田、杉浦、野村、王、長島、落合やイチロー、松井、城島、井口などの中にその時々で結構応援したい選手もいる。もっともっと野球が盛んになって欲しいと思う者であるが、あまりに現状の興行面を見た近視眼的・目眩まし的な対応は結果的にツケを回したことにならないと良いがと思う。

福島県知事道義的責任で辞職というが

福島県談合「公共調達システム刷新を」(郷原 桐蔭横浜大学教授)の記事が朝日新聞に掲載されていた。福島県知事の辞職に結びついた実弟の談合罪共犯容疑での逮捕が、地方公共工事を巡る談合構図全体に大きな影響を与える可能性があるというが本当か?という感じをもつ。

高度経済成長期に公然と業界業者間の話し合いで受注者を決める方式が行われていた。90年代は、独禁法の制裁強化もあって会合型から密やかに個別情報交換方式に談合システムが変化したが、それが摘発されたのが大手ゼネコン汚職事件。独禁法課徴金や指名停止に加え、刑事事件での摘発の脅威にさらされたことが摘発されにくい形態への談合システムの進化に繋がったという。

受注者が特定の人物の意向や業界会合決定のような明確な形で決まるのではなく、情報交換による受注希望者の調整や有力者の意向伝達などを通して関係者で徐々にコンセンサス形成がされるという曖昧な経過で決まっていく構図にある。このような構図の中で、対価としての金銭授受があったとしても職務権限との関係が希薄なので贈収賄の構成も困難。そうした有力者の談合システムへの関与をあえて談合罪の共犯と捉えて逮捕に踏み切った今回の検察の判断は相当思い切ったものだという。

ここで「有力者の意向伝達などを通して徐々にコンセンサス形成がされると」というが、実態はそんな生ぬるいものではなく、天の声としての威厳・威光が関係者に強力に伝わっていると考えざるを得ない。

上述のような談合罪共犯の適用が一般化されると大手ゼネコンなど建設業界の談合構造が一気に崩壊に向かうとも考えられるというが本当か?かつては経済的社会的機能も果たしていた談合システムは右肩上がりの終焉とともにその機能を徐々に喪失し、非効率性、不透明性、癒着・腐敗などの弊害が顕在化し、種々の規制をかいくぐり、より巧妙し続け、相も変わらず癒着・腐敗の弊害がより鮮明に映ると感じる人は多い。

しかし、これまで違法行為・犯罪として制裁・処罰ばかりに終始してきたため、談合システムに代わって、品質が高く安全性の高い社会資本の整備を可能な限り低価格で提供するシステムの構築は著しく立ち遅れている。談合の制裁・処罰ばかりに関心を向けるのではなく、官民挙げて新たな公共調達システムの構築に取り組むべき時期に来ているという提言はその通りだと思う。ここで良識あるマスメディアを標榜する新聞・テレビ業界は、世界のいいとこ取りでもいい、これらの情報をもっと提供すべきと考える。

Sunday, October 01, 2006

都民の日




10月1日は都民の日。都民の日でも日曜日に重ならないとなかなか出かけられないでいた。今年は日曜日に重なったこともあってどこかに出かけてみようということになった。都が運営している施設が無料になるためまだ行ったことがなかった都立葛西臨海水族館(葛西臨海公園内)に行ってみた。

京葉線で葛西臨海駅に着くとかなりのお客さんが駅に下り立ち、特に小さな子供連れが多かった。水族館は遅くなると混むだろうと既に来たことがある家内が先導し一直線で行ったが、もう中は混雑が始まっていたけれど館内全体を見ることが出来た。臨海公園は思ったより広く良く整備された公園で気持ちがよかった。普段もう少しじっくり見られる時にゆっくりと見る価値があるように感じた。

水族館から出ると雨が降りそうな感じだったため、公園内の散策は取りやめて帰ることにした。帰りの途中御徒町により井泉本店で久しぶりにトンカツを食した。13時頃の日曜日で当たりは人気がそれ程ないが、店内は結構混んでいた。やはり老舗の美味しい味を求めてやってくる常連さんがいるのか?

美味しいトンカツを食した後、上野松坂屋前から以前から一度乗ってみたいと思っていた都バスに乗って浅草を通って南千住まで来てみた。なんと時間がかかることかがわかった。それから都バスに乗ってくる人達は、なんと年輩者(70歳以上の方でパスをもっている人)が多いことが分かった。余計なお世話かも知れないが、都バスはこれでやっていけるのかなと?
こんな都民の日の一日であった。

swimming練習へ

10/22(Sun.)に千葉県国際総合水泳場で予定されているマスターズ大会へ参加予定としている。
エントリー種目は、50m,100m自由形のため少しでも記録が落ちないようにと練習をすることにしているが、なかなか思うように出来ない。しかし、今週の木曜日と今日土曜日は時間帯がよかったのか荒川総合スポーツセンタは余り混雑していなかった。

練習メニューは以下の通り。

9/28(木) 合計距離 2400m
ウオームアップ:400m(フリー)+100m(バック)+100m(ブレスト)
100mフリー  :2'15秒サークル × 7本
       :2'00秒サークル × 8本

50mフリー  :65秒サークル  ×5本
       :60秒サークル  ×5本

100mメドレー :ゆっくり × 2本
ダウン    :200m

9/30(木) 合計距離 2400m
ウオームアップ:500m(フリー)+50m×2(バック)+50m×2(ブレスト)
1500mフリー × 1本
50mフリー  :70秒サークル  ×10本

100mメドレー :ゆっくり × 2本
ダウン    :100m

プールが空いているとインターバルでも長距離でもしっかり泳げてとても気持ちが良い。しかし、混雑しているときは、インターバルでサークル65秒とか70秒といってもそんな気持ちで泳ぐしかない程度でなかなかしっかり泳げない。泳ぎ終わった後は気分がスッキリするのがいいね。

Saturday, September 30, 2006

「インドビジネス-驚異の潜在力」を読んで

インドビジネス-驚異の潜在力 祥伝社新書 島田卓 著を読んで

世界に残された巨大市場IT業界の人材の宝庫といわれるが、これはある意味一面しか表していない。インドには無数の言語、理解の壁を越えた社会制度、因習等被支配民族としての国民性があるという。ビジネスを行うにはまずインドの現状と国民性を知る必要があるそうだ。

インドの人に一貫性を持たせつつ、それを継続的に行わせることは非常に難しいと言われる。いい加減な説明はもとより、聞くからに立派な説明でも、拠って立つ根拠が明確でない場合には、何でそういう事になるのか、徹底的に説明を求める必要があると!
常に念頭に置いておく必要性があることは、2C,2TとPだと。
Continuity(継続性),Consistency(一貫性)
Transparency(透明性),Timing(タイミング)
Predictability(予見性) だそうだ。

インド工科大学(IIT)→MITを模したといわれるが、IITがどの位難しいかというと、インドではIITに落ちたらMITに行けといわれ、半ば冗談と思えるだろうが、本音だそうである。

著者曰く、インド人は、自己主張が強く話し出したら一人でしゃべっていて他の人に話をさせない「自己中心思考回路」を持つという。一方日本人は何も言わない、何を考えているか分からない「日本人は他人中心思考回路」を持つということで、以前のジョークで触れた「至難の業」にもでているようなジョークが生まれている。

1947年のインド独立に際し、無数の言語と人種の集まりであるインドを独立に導くためにマハトマ・ガンジーや初代首相ネールが使ったプロパガンダが、自尊心と自信であった。圧制と収奪という悲惨な外国支配に抑圧され続けたインド国民を奮い立たせ、インドの民衆に自国が持つ数千年の歴史とインドの文化の栄光を叫び続けた。人間は徹底的に言い含められる(洗脳される)と、自己顕示欲の強い、自己中心的な思考回路ができてしまうらしい。

1991年の国勢調査では、インドで話される言語は3372、このうち1万人以上が話している言語が216、すなわち1万人にも満たない言語を話している言語が3000以上あるという。一枚のお札に17言語の金額表示がされているそうだ。

気になるのは、インドの人口が2035年に15億人を超え中国を抜くといわれている。今のインドが中国のような急激な経済発展を遂げるかどうか分からないが、いつまでも今のままでいることはあるまい。エネルギー、食料問題など、地球はどうなっていくのだろうか。先が思いやられるが、心配のし過ぎだろうか?

Friday, September 29, 2006

朝日新聞(選挙)「制度の穴をふさぐには」の社説に同感

29日の朝日新聞に竹中氏辞職「制度の穴をふさぐには」のタイトルで社説があった。朝日新聞ならずとも選挙権を持つ国民大方の人達が、今の選挙制度の欠陥という感じで何かおかしいと感じているのではないか。拘束名簿方式で落選した人が非拘束名簿方式で当選をするというやり方、単なる人気集めの票稼ぎ(どんな形でも名前が知れた人)で国会議員が決まっていく、このような形で選ばれた議員を含めた党に対しても何とも信頼や信用といった感じが芽生えない。党が公認する人物のハードルを示して欲しい。

比例代表選メンバーに記載する名前を当て馬的に記載しておいたら、なんとまあ当選してしまった。政策もヘチマもあったものではないと感じる。比例選で当選しながら軽々しく党を変わる。だれが考えてもおかしいとしかいいようがない。制度の欠陥そのものだと思う。

このような現状に対して、今日の朝日新聞社説はズバリ単刀直入に明快な形で主張してくれている。
一つは、辞める議員が集めた個人票を政党の獲得票数から差し引いて、議席を配分し直す。もう一つは勝手にやめた場合には、繰り上げ当選を認めず、欠員のままにする。このくらいのことは躊躇せずにやるべきだ。

来年の参議院選に向けてもプロ野球選手の擁立が取り沙汰され、相変わらずのタレント志向が続いているのではないかという。このような体たらくの制度にメスを入れられない与党はさっさと代わるしかない。既得権益を守る・拡大させるのは官僚の専売特許といっているかの自民党そのものがWEB1.0にズッポリ浸かっているとしか思えない。「良識の府」たる制度設計改革に即刻取り組むべきと思う。

Sunday, September 24, 2006

千秋楽見物+ちゃんこ霧島



大相撲千秋楽を初めて見物した。地方巡業、全日本学生選手権、相撲総見などは見たことがあったが、本場所は初めてだった。テレビで見るのもいいがやはり実際は迫力が違う。映像の良さも勿論あるが、実際の迫力との違いの差をまだまだ映像では埋めることが出来ない。映像技術や音声技術が進化してこの違いをどこまで迫れるか興味がある。

今日は二階席の前から見ていたため土俵がバカに小さく感じた。テレビで見ていると土俵は結構大きい感じで映っているが、実際はそれ程大きさを感じない。それより力士がテレビで見ているより実際の方が大きく感じた。
また、二階からは、鳥瞰的な見方となるからか力士の体重の移動つまり重心の移動がよく見えるのが面白いのと、立ち会いの勢いで追い込んだ時の詰めが甘く、逆転されてしまうケースも結構興味深く見ることが出来た。

14日目で横綱朝青龍の優勝が決まっていたため少し緊張感や手に汗を握る期待感が薄れた千秋楽ではないか感じていたが、実際はそんなことはなく横綱、大関、関脇の相撲は結構力相撲でスリルを感じた。

相撲観戦後霧島という所でちゃんこ料理を食べたが、味もなかなかよく料理も新鮮な魚介類だけでなく非常にいい鍋で満足の料理であった。
今回は、父の米寿のお祝いと姪っ子のアメリカ人の旦那さんの誕生祝いを兼ねて、私の兄姉三人とそれぞれの連れ合い等10人でお祝いの席を囲んだ。ちゃんこ霧島からは思いも掛けないサプライズの品を頂き父も驚いていた。なかなか買えるようなものではない心のこもったお祝いの品であった。感謝感謝です。

三役の取り組みが始まる時に会場内がバカに賑やかになったと思ったら、自民党安倍新総裁及び夫人が会場内に入ってきた。内閣総理大臣杯を授与するため内閣官房長官としての仕事であった。総理大臣杯は、40kgもあるらしい。かなりの重さの優勝杯を一生懸命持ち上げて朝青龍に渡すところが何とも印象的だった。

Thursday, September 21, 2006

自民党総裁に安倍晋三氏選出される

自民党総裁に安倍晋三内閣官房長官が選出された。
政治の世界は全く素人だが、素人なりにも一国の総理大臣となるため人物・ビジョンが気になる。
キャッチフレーズを「美しい国、日本」とし以下の項目を目指すべき国のあり方として掲げている。
(1)文化、伝統、自然、歴史を大切にする国 (2)「自由」と「規律」を知る、凛(りん)とした国 (3)未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国 (4)世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国

さらに、政策の6つのポイントとして、
(1)政治のリーダーシップ (2)「イノベーション」と「オープン」による経済活性化 (3)健全で安心できる社会の実現 (4)主張する外交 (5)自民党改革のさらなる推進 (6)戦後レジームからの新たな船出
を掲げている。是非やり遂げて欲しいものである。

これらの中の更に小項目として次のよう内容が示されている。
・伝統文化を大切にする
・家族の価値観や地域の温かさの再生
・教育の抜本的改革
・安心と安全を国民の手に取り戻す
・イノベーションによる経済成長
・世界の中で活躍、貢献する日本人を育てる

これらをどのようなやり方で取り組むのか具体的なイメージがわかるような言葉で説明をしてほしいものであると感じた。ひょっとして「美しい国、日本」には出ているのか?

非常に重要だと考えているのは、上記項目のどれをとっても教育と教育システム、更に日本人が伝統としてきて世界に誇れるものは何なのかを含めてもう少し具体な考え方を示してほしいという思いがする。

一国の総理が何から何まで具体的な内容までを述べなければならないという訳でもないが、少なくとも信念をもって取り組む決意の上に、そのビジョンをどう実現するかを示し、指示したら最後まで任せた事を自分の意向に沿っているか確認することが必要に思える。

Tuesday, September 19, 2006

North Koreaの状況を読んで

話は大分それてしまうが、世の中他人から見ると極悪人と言わずに何というか、というくらいどうしようもないと思われるように見える人でも、いざ身内のこととなると普段の極悪・非道は何処へという感じもしてしまう。

最近「ある北朝鮮兵士の告白」新潮新書 韓景旭著 北朝鮮の軍隊生活の一部始終が語られているという本を読んだ。内容的にどこまでが事実かという所もあると思うが、軍隊の下の者はすべて上官と党のため、上官はすべて更に上の上官と党のため、最後は首領様と党のためという構図で自分と他人を差別化してもらう、自分の出世目的で取り入るために賄賂やおべっかを使ったり渡したりとすさまじい状況が蔓延っている。

その賄賂の品々は仲間のものであったり、他の部隊の物であったり、殆どは農家からの略奪品・襲撃品でもある。農産物(米、大豆、トウモロコシ、カボチャ、トウガラシ・・・)や家畜(牛、豚、鶏、ウサギ・・)や飼い犬、はたまた首領様の命令である道路工事等に必要な機械器具などありとあらゆるものが窃盗、略奪、襲撃の対象となり、貨物列車を軍人が襲撃するなど正に腕っ節の強く、且つ要領のいい人間や集団など無法者がのさばる社会としか言いようがない。軍隊にいる人も国民も、本当に毎日食うや食わずのぎりぎりの生活が続いているという。

自分が死ぬか他人を殺すかという状況が何処にでも見られるというおぞましい国に成り下がっている。
一人の上官やその家族がいい思いをしている時は、その反面困って嘆き悲しんでいる人が何人いることか、人の不幸や悲しみ、不満の上に成り立った党と首領の構図。いつまでもつのか不思議な気がする。

19日日本政府は、北朝鮮に対する金融制裁の実施を閣議了承した。これらもいつまでも、もたもたしないで実行できる策は日本としてどんどん取ることが、結果として北朝鮮の民衆を苦しみから早く解放し救うことに繋がるのかもしれない。世の中なんと皮肉なものだろう。現体制の腐りきった一党独裁・専制政治の現実をもう少し見つめる必要がある。拉致被害者を救うためにも現体制維持の加担に断じて支持するようなことを許してはいけない。

日本で荒っぽい犯罪が増えている。このような荒っぽい犯罪は日本にはなかった。上述の本を読んでいると何か繋がるものがあっても不思議がない。犯罪の取り締まりももたもたしないで徹底して安心の出来る社会になって欲しい。

贈りものの有り難さ

昨日北海道H君、Aちゃん、Hiび君からの贈りものが届いた。立派なサーモン。
自分ではほとんど贈りものを送るという習慣と縁がなかったが、貰うのは何とも嬉しい限りだ。今後は頂くだけではなく、少しは喜ばれることもしないといけないと思うようになった。特に身近にいる人にも何か感謝の気持ちが分かる何かを。

他人には「気は心」だからといって少しの気持ちを表すだけでも大切だとか言っておきながら、身近な人にはなんの気持ちも表していない気がする。何十年もの間。なんて自分に都合の良いことを言っているのだろうという感じがする。今年は、家内の友達から梨、桃、佃煮等いくつかの贈りものが届いている。これも余り形式だけの付き合いだと重荷になることもあると思うが、お互い身近な品々を少しでもと便り代わりにというのも良いものだ。

また、自分の田舎からも高齢の親が少し不自由になった体を何とか動かして育て上げたジャガイモ、サツマイモ、モロヘイヤ・・・等
もう少し謙虚になって行くことを思い始めた。歳を取ったせいかな?

Saturday, September 16, 2006

どたばた日帰り温泉


朝起きて9時近くになって日帰り温泉で何処かに行くかということで、奥多摩の「もえぎの湯」(JR青梅線奥多摩駅)に向けて10時過ぎに出発した。それでも出かける前まではあっちがいい、こっちがいいと言いながら、行く寸前になって中央道はどうも混雑しているのではということで千葉の養老渓谷の温泉郷の方にしたらという話がでたが、いつまで経っても出発できないからと奥多摩目指して首都高の入り口「堤通」に入った。途端6号線は向島から江戸橋まで、また下北沢から八王子の先までずっと渋滞ということだったが、それでもまだ行くつもりで箱崎近くまで奥多摩目指していた。とても何時に着くかわからない感じがしてきた。

急きょ千葉の養老渓谷に行くことに走りながら変更し、箱崎でUターンして7号線に戻ったが、京葉道路も花輪から以降渋滞であった。3連休なのだから何処に行っても当然のように混雑している。それでも蘇我ICを下りたら、混雑はしていたが渋滞ではなかった。12時半近くとなっていたため、昼食を297号線にはいってすぐ食べることになった。「いちの膳」というレストランでランチメニューを食べたが、値段の割にまあまあお寿司と茶碗蒸し、味噌汁付きで結構満足。欲を言うともう少し新鮮な具があると更に申し分ないのにと思う。欲張りをいっては怒られる。

養老渓谷には2時過ぎについたが、何も調べないで来たためどこの温泉施設に行こうとしたのかも全く思い出せずに、取り敢えず車で養老温泉郷とはどんな温泉なのか、奥養老温泉まで行ったり、滝之家(滝見苑)の滝を見たり遊歩道を少し散歩した。目的が温泉だったので養老温泉郷の中のホテルに行ったが午後3時を少し過ぎてしまったため、日帰り客はご遠慮してもらうということで、あせって入浴できるところは何処でもいいからと次に立ち寄った「旅館 嵯峨和」という所でかろうじて入浴できることとなり目的達成。養老温泉の湯質はナトリウム炭酸水素塩泉で深さ200メートルの湯脈から届く自慢の黒湯(ラジウム鉱泉)はヨード分が多く、美肌効果があり、お肌をつるつるにしてくれるようなことが記載されている。確かにうす黒い湯でした。

もう少し計画的にすると良いところが効率的に見られたりと思うがなかなかそうはいかないことが多いものだ。

Thursday, September 14, 2006

世の人心の荒みはどうなっているの?

最近のニュースを見たり聞いたりしていると何とも人の心が荒んだ世の中になったものだとつくづく感じる。

海外からの荒っぽい窃盗団とばかり言ってられない。これらの影響を受けたかどうか解らないが、ショベルカーでのATM破壊、宝石・貴金属店を狙ったジャッキによる壁破壊、トラックを使った何とも手荒な電気製品洗いざらい窃盗強盗団の振る舞い、振り込め詐欺、はたまた中学生同士で親を報酬目的依頼殺人、子供への熱湯浸け虐待、すぐキレル大人と子供等々道徳教育という問題ではない何かが狂ってしまっている。

先月のニュースで高速道路の料金所踏み倒し突破がH17年度で93万件だという。5年前の3倍以上で旧日本道路公団3社で約26万件、首都高速道路で約36万件、阪神高速道路で約30万件だという。これは単に高速道路会社の収入減による損失なんていう問題ではない。こんな状況を放っておくことがむしろ犯罪を助長している気がしてならない。
常習者がいることは窺い知れるが、むしろこのような犯罪の野放しはまったくもって世の中をなお荒ませる。

最近特に飲酒運転による人身事故放置のまま証拠隠滅・発覚を恐れて逃走してしまうケースが問題視されている。これは逃げ得を許す法体系が問題だといわれるが、正にその通りである。ある団体や弁護士らは、人権人権とかプライバシー・プライバシーとか極端な配慮と称した過剰な反応、発言など何とも自己都合・自己弁護の振りかざしオンパレードという感がする。

ブロークンウィンドー理論によるニューヨークの治安維持・回復ではないが、日本の治安回復のため徹底した犯罪者の取り締まりを実施して欲しい。上述の内容は結局逃げ得が許されてしまうことが一番問題で、とどのつまり不正や犯罪は自分が一番損失(代償が高くつく)となるいう意識付けがされないとこのような犯罪はなくならないという気がする。それと相俟って人に迷惑を掛けない道徳観念醸成教育などにもっともっと世の中も真剣になって欲しい。

かつての儒教の精神や藤原正彦氏がいう武士道精神など日本の美しい心の再生に向けた努力が切望されるこの頃である。最近の脳神経科学による脳の発達のアンバランス(扁桃体と前頭葉発達不整合)も指摘されているが、情報過多や暴力シーンゲームなどマスメディアによる視聴率指向の問題の影響も大きいと素人でも思う。更に、教育の荒廃も何とも恐ろしボディーブローのように効いてくる。

Tuesday, September 12, 2006

ジョークについて

自分では気の利いたジョークを言ってみたいと考える時がたまにある。多少かしこまった会話の中で出そうと思ってもなかなか出てこない。これは飲み会後のカラオケで指名された時、一つや二つ歌える歌を覚えておきたいという思いとある意味感じが似ている所がある。多少の注目を集めてみたいという想い。以前に皇居近くのパ○スホテルでアメリカE○RI技術者とのパーティに参加した。パーティが始まる前の雑談の中で何カ国かを対象にジョークを飛ばしていた技術者がいた。勿論内容に付いていけないのが殆どだったかもしれないが、このようにいくつかの国の特徴を、その場の雰囲気を捉えて話題に出来ることにある意味では非常に羨ましさを感じた。
と言う訳で本屋に行ったら「世界の日本人ジョーク集」早坂隆 著 が目に入ったので購入して読んでみた。なかなか興味深いものもあるが、これらはやはりTPOが大事である。ということで先の本から3つ引用。

●技術者の違い
日本人とロシア人技術者が、クルマの機密性について話し合っていた。
日本人技術者の話。
「我が国では機密性を試す試験には、猫を一晩クルマの中に入れておきます。そして次の日に、猫が窒息死していたら、機密性は十分だと判断します」
ロシア人の技術者の話。
「我が国でも、機密性を試すために、猫を一晩クルマの中に入れておきます。そして次の日に、猫がクルマの中にいれば、気密性は十分だと判断します」

●至難の業
国際会議において有能な議長とはどういう者か?
それはインド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である。

●幸福論
「人生における最高の生活とは?」
「アメリカで給料を貰い、イギリスの住宅に住み、中国人のコックを雇い、日本人を妻にすることさ」
「では、最低の生活とは?」
「中国で給料を貰い、日本の住宅に住み、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人を妻にすることさ」

何を感じますか?

Sunday, September 10, 2006

バイオテクノロジーの進歩・今後の期待と課題

1990年に米国で正式にスタートしたヒトゲノム解析は計画目標の2005年より大幅に早く2000年に概要解読が終了したとのこと。これらの成果は、今後の病気の治療を含めて計り知れないほど、人間とは何かというような倫理的な課題も含めて、従来のものの考え方を変えなければならない問題に直面しているという。

大きな重要な事項の一つに生物はみな同じスーパーファミリー(人間だけがあらゆる生物の中で特別なものではなく、同じファミリーのワン・オブ・ゼムに過ぎない)に属している(生物のあらゆる細胞には、エネルギー産出システムを受け持つミトコンドリアという細胞内小器官があり、そこでヌクレオチドを構成する部品である塩基-A(アデニン),T(チミン),G(グアニン),C(シトシン)ではない別の暗号システムを使っているとか、生殖とか、形態形成、生物のさまざまな基本的な枠組みの根幹部分がみな相同遺伝子によって作られ、同じようになっている)。

現在では、DNAシーケンスを自動的に読み取る装置、遺伝暗号をいれるとその通りDNAを作るDNA自動合成機等大抵の研究室にあるらしい。そこで目指すは病気治療のためのティシュ・エンジニアリング(tissue engineering:再生医療)の活躍の場である。脊髄損傷で動けない人の脊髄復元、脳梗塞、アルツハイマー病など脳の病気で機能を失った人の脳細胞再生、人間の臓器を豚などに移植用臓器として作らせる場合など、人動物キメラは何処まで許されるか等生命倫理の課題が分子生物学の進歩とともに続出してきているという。

一方、HIVウィルスは分裂しない非細胞(脳、肝臓、肺等)の中にも入っていくが、このエイズウィルスを無毒化できると最高のベクター(遺伝子クローニングなどで遺伝子を導入する時遺伝子をのせて送り込むことができるDNAに入りやすい物質)になるという。これもDNA解析が進み何処が悪さをするかすっかり解析済みとのこと。

ガンにあっては、以前よりp53ガン抑制遺伝子について新聞等で時々報道されていた。大抵のガンは15~20くらいの遺伝子異常が同時に起きているためその全部を直すのはとても無理なのでたった一つのp53遺伝子を入れただけでガンは自己破壊(アポトーシス)を起こすという。p53はガン細胞が異常増殖を始めようとすると細胞分裂にストップを掛け、増殖を止まるようにし、それでも異常増殖が止まらないとアポトーシス(細胞自殺)のスイッチを入れてガン細胞の固まりを自殺させてしまうという。因みに人の手(指ができるのは)はアポトーシスの結果指の形成となっている。

(「21世紀 知の挑戦 立花隆 著」より)

Saturday, September 09, 2006

21世紀は地球が出来た以降どんな時代か鳥瞰

太陽系つまり地球の誕生は今から46億年前。その6億年後(40億年前)海の中で生命誕生及び陸も誕生。その後陸上と生物が結びついたのは今から4億年前。恐竜の誕生は約2億3000万年前、恐竜が忽然と消えたのは6500万年前。霊長類の出現は約6500万年前。さらに、500万年前人類と類人猿が分かれたといわれている。

この地球が出来た以降もう少し理解しやすい表現として一日24時間の物差しで表すとより理解が進むという。例えば、地球史を一日24時間にたとえると、恐竜の時代が終わってほ乳類の時代が始まったのは23時47分8秒頃で、霊長類の中からヒトが出現したのが23時59分3秒頃。キリストが生まれたのが23時59分56秒24。20世紀が始まったのが23時59分59秒99。20世紀の100年などというのはほんの一瞬に過ぎない。

このように地球史的に現在をみるとほんのわずかの時間だが、逆にほんのわずかな時間に人口増加や人間の産業活動により、又各国の利害関係により環境破壊がどんどん進んでいることは何ともむなしい。

ヒトは自然に翻弄されるだけだった存在から世界のあり方に積極的に関わる存在になった。その後、知の歴史は、ヒトの役割の増大の歴史だった。益々ヒトのアクティビティーが世界のあり方に大きな影響を与えるようになり、人の側でも意識的にその役割を増大させていった時代といえる。その無定見な役割の増大が、世界システムのあちこちに不具合をもたらしたので近年の環境破壊問題であると考えることが出来るという。

環境問題の深刻化によって、ヒトはこの役割の大きさに気づき、ヒトの自然との関わりを認識し直し、自己の行動に責任を持つようになり、盲目的行動者から世界のマネジメントに自覚的に拘わる世界のケア・テイカー(世話役)へと自己を変貌させようとしているというが、すぐにでも変貌して欲しいと考える一人である。

(「21世紀 知の挑戦 立花隆 著」より)

Thursday, September 07, 2006

世界人口65億人超えとなる

読売新聞によると世界人口が65億人を超えたと報じている。今後も人口は増加の一途を辿ることが確実視され、更に爆発的な勢いで人口100億人も間違いなくすぐ届いてしまう。人口の増加でまず気にかかるのが食糧とエネルギー消費の問題。本当にこれからの地球はどうなっていくのだろうかと素人ながら心配になる。

「立花隆著 21世紀 知の挑戦」によると世界人口は、約200万年前猿人時代大体100万人程度で生息地はアフリカだけだといわれている。次の原人時代(50万年前あたり)に生息地はアジアやヨーロッパまで広がり、人口は全部合わせても170万人くらい。
人口は基本的にどれだけ食糧が得られるかに左右され、狩猟採集時代は生息地域の広さで決まるため余り増えなかった。結局農業革命(1万年前頃)以前の世界総人口はせいぜい500万人程度にとどまっていたようだ。農業革命以降急速に増加の一途を辿り7千年前には6600万人、灌漑農法などさまざまな技術により農業生産は上がっていき、世界人口は紀元1年には1億3000万人を超えていた。その後産業革命以降18世紀初め6億人を超え、19世紀はじめ9億人、20世紀はじめに約16億に達した。

そして今21世紀はじめ65億人を超えてしまった。中国約13億人、インド11億人、アメリカ3億人と続く。日本は第10位で約1億3千万人。
世界人口は、1分150人、1日20万人、1年で8000万人増加しているという。(1年で6000万人が死亡し、1億4000万人が出生)

日本の食糧輸入やエネルギー輸入と国内のこれらの生産活動等を見ると何ともおぞましい感じがする。技術立国とつい20~30年位前いわれて有頂天になっていたが、現状の化学や物理等自然科学への学生の興味や学力の低下がいわれる中、日本は大丈夫なのだろうか?

Wednesday, September 06, 2006

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Tuesday, September 05, 2006

二次健康診断へ

春の健康診断結果を見ると二次検診を必要とする項目が二つあった。先日二次健康診断を受けようと病院を訪れる血液採取だけで、胃カメラ及び超音波検査は9/5(火)に来て下さいとのこと。そのため今日行ってきた。健康診断で2次検査は初めてだったので大したことがなくとも一応検診を受けておいた方が安心できると思って受診した。

一つはγ-GTPが標準より少し高い(103→今までは80位が今年100台(普段お酒は缶ビール1本程度))、もう一つは胃のバリウム検診の結果、胃の噴門部に小さな粘膜下腫瘍が見られるとのことであった。

初めての胃カメラであったためどんな感じなのか興味津々だったが、胃カメラを入れる準備として(1)舌の麻酔のためどろどろとしたゲル状のものを口中に3分間含んで出す、(2)次に喉部分の麻酔のため溶液状のものを口中に入れそれを飲む、(3)カメラ撮影時に胃が動かないようにするため上腕部に注射、(4)最後に胃カメラを入れる前に睡眠薬(剤)を腕から注射した。

看護師さんからは眠くなったら無理をしなくて自然に眠って良いですといわれている内に全く気がつかずに寝てしまった。目が覚めたのは1時間後にもう終わりましたということで何をなされたか全く気づかずに終わってしまい、興味津々であったが準備段階しか記憶に残らずじまい。

その後、結果を聞くとγ-GTPの方は大したことはない、また、胃の方も大したこともないため来年もう一度確認して下さいとのこと。超音波での内臓診断結果は、胆嚢に小さな陰があるがこれも大したことはないが、念のため半年くらいで確認をしておくと安心するとのこと。

検診をした後は、頭が少しボーとした感じがしていたが、歩いたりするには全く問題なかった。医療技術の進歩には驚かされる。便利な世の中になったものだとつくづく感じた。今回ついでにヘリコバクター・ピロリ菌の検診も急きょお願いしたが問題ないとのことで一安心。

Sunday, September 03, 2006

いわきへ行く

今日はいわきに行くため朝7:50頃首都高の堤通から三郷経由常磐自動車道でいわき中央で下り、そこから10分足らずで目的地に着いた。約2時間で東京からいわきに着いたことになる。高速道路が混んでいないとこの程度の時間で着く便利な地である。

10数年ぶりに少しゆっくりいわき市内を買い物がてら車で走ってみたら、なんだか別の地に来た感じがした。駅前は再開発のため旧建物が壊され、新しいビルが建設の準備に入ったところだし、その他の道も昔住んでいた時通った感じとどうも違う感じがした。その違う感じとは、空が青く非常に開けた感じ(開放感がある)で道路も細かった印象があったが、道が広くなるとともに周りの建物もかなり整理され、且つ高い建物がないため開放感があり気持ちが良かった。(何年か前に福島県で国体が開催された時かなり市内の整備が行われたようだ)

人混みも昔ほど無いせいか少しさっぱりした感じもしたが、よくよく考えると、この地も少子化の影響を受けるとともに、学生(小中高)の数も少なくなっているということなのかという感を受けた。この人混みも余りゴミゴミ混雑していると何とかならないかといった少しウンザリするような感じを受けるが、市内の銀座通りで人気が少ないのも少々寒々しさや寂しさを感じてしまう。人間てなんと勝手なことばかりを感じるんだろうと思う。

帰りは、湯本の温泉「さはこの湯」に入って疲れをさっぱり流してきた。さはこの湯は所謂普通の町中のお風呂屋さんだが、掛け流し温泉のため地元の人以外も結構訪れているようだ。大人の入浴料は
220円なのでとっても得した感じがする。泉質は硫黄水、源泉温度59.7℃、無色澄明・無味、臭味は硫化水素臭、水素イオン濃度PH7.8と表示されているが、少しにごった感じで硫黄臭がするためこれぞ温泉という感じがする。もし行くようなことがあれば一度お試しあれ。

Friday, September 01, 2006

防災の日に身の回りを見ると

今日9/1は防災の日で政府は総合防災訓練を実施した。また、東京都の訓練には在日米軍の横須賀基地からフリゲート艦による帰宅困難者の輸送訓練、韓国からもレスキュー隊等の参加があったという。外国からの支援も含めた訓練も当然念頭に置いておかなくてはならないと思う。石原都知事になってやっと自衛隊を身近な協力者として受け入れる当たり前の事が進んで良いことだ。

ところで我が家の防災対策はどんな状況なのか、改めて眺めてみたが震災への備えが殆ど出来ていない。防災グッズとやらは昔会社や区から貰ったものが大事にしまってあったり、防災袋、子供の防災頭巾、手袋、懐中電灯など細々としたものがあることにはあるが、震災が起きたときすぐ持ち出す体制が出来ていない。慌てて一生懸命防災用品だと思って持ち出してみると、実は防災頭巾の入った袋であったりという何ともお粗末な準備状況であることがわかった。また、家族の連絡場所や避難場所の確認、各々の役割等も特に決めていないため実際に離ればなれになってしまい、ただただ途方に暮れてしまうのが必須のような気がした。
防災グッズも含めてもう一度見直しをしておかないといけないと改めて感じた。また、マンションの対応・準備が全く決まっていない。何かあればお互い助け合いが必要になるというのに。

Thursday, August 31, 2006

総合スポーツセンタへ

ウィークデーの運動回数は1回、出来れば2回くらい実施したいと考えている。
しかし結局ウィークデーは一回位しかできない。今日はその1日で一旦自宅に戻ってからプールに行ってきた。
いつものトレーニングメニューは大体今日のパターンと大して変わりない。
最初ウォーミングアップを兼ねて自由形で800m(400mゆっくり+少しスピードを上げて残り400m)
更にバックとブレスト各々50m×2本づつで体ほぐし終わり。
次に100m×10本のインターバルを泳ごうと思ったが、少し混雑していたので自由形50m×20本(65秒サークル目標だが他人にぶつからない程度の間隔をとるため90秒~100秒位になることもあった)にしてしまった。
人によるだろうが今日の同じレーンの人達は、人のことは全然気にせずマイペースで泳ぎ出す連中が多すぎた。大体他人の泳ぎを見ると自分が今この時点で先に出るとどんな具合になってしまうか分かるだろうがと思うが全く気にしない。どうにかして欲しいと思う人達が2人いて思うような練習が出来なかった。更に壁に着けば真ん中に立って、他人が泳いでいこうが全く気にしなくそのまま壁に立ち続けて、泳いでいる人がタッチしてターンできない。どうなっているのと言いたい感じがするがそこはじっと我慢。
次に100mメドレー3本、自由形50m×5本のクイックターンの練習、25m×4本全速力
ダウン200mで終わり。
どうも木曜日は貸し切りが3レーンあるせいか混雑しているようだ。
人の少ない日を探してみようかという気がした。

Wednesday, August 30, 2006

装着型ロボットスーツ

今日お茶の水の旧日立本社ビルでSuperHオープンフォーラムがあり行ってきた。このフォーラムでは筑波大学山海嘉之教授のロボットスーツに興味があったため申し込みをしてあった。先生の講演は最後であったが、ロボットスーツの開発に関わる話の中で、様々な分野を融合できた成果だという。Cybernicsなるジャンルは、脳、神経科学、行動科学、ロボット工学、心理学、IT技術、生理学など、さまざまな分野を融合させた新しいテクノロジーだとの事。

先生の姿勢が何とも頼もしく中途半端は嫌いで何でもとことんやる方だという。ロボットスーツ研究では、肝心な生体電位(筋肉を動かそうとした時に脳から発せられる信号によって発生する)信号の取り込みでは従来のメカトロニクスだけの発想では生まれず、人間、機械、情報系を融合複合し、文系・理系を総合的に動員したという。特に人間の動きを先取りしないと足手まといになってしまい逆に疲れてしまう結果になるそうだ。

ロボットスーツはバッテリー駆動で立ち上がる、座る、歩く、階段を昇降するなど人間の動作支援をし100kg超の重量でも簡単に持ち上げられるとの事。先に標高4200mの山にHAL(Hybrid Assistive Limb)を装着して身体障害者を背負って登ったスライドが出されたがすごいと言うしかない。今後様々な分野でこのHAL支援を受けて活躍の場が出てくるに違いないが、早くもっと一般的になるのが楽しみである。

先生は、CYBERDYNE株式会社の代表となり研究成果を活用することを目的に今年(2006)6月に大学発ベンチャー企業を設立したという。一番重要なのは、このようなものや仕組みのビジョンづくりだという。
うーむ~。一般人は、ビジョンと現実が離れすぎてしまっている。

放射線アレルギーのつまる所

今日の読売新聞に(食品と放射線)「なぜ必要な技術をタブー視する」という社説が掲載された。この社説に正に共感する者だが、今までのマスコミももう少し科学や技術を冷静に理解し受け止め放射線を伴う原子力の利用や優位性を相対的に評価することが必要と常々思っている。

食品の放射線処理が市民権を得られる契機にすべきだとの指摘であるが、マスコミ以外にこれまでの国の姿勢(政府及び官僚)も何とも弱腰・大衆迎合・ご都合主義(マスメディアから不都合な記事は寸分たりとも指摘されないようにする、自分の地位保全のため堂々と先陣を切って前に進もうとする姿が見えなく本質的問題を矮小化したり隠す)的な姿勢が見えてならない。瞬時に膨大なエネルギーを生じさせる原子力の利用は、慎重であらねばならないと考えるが、エネルギー輸入大国であり、技術立国日本としては、現状の化石燃料に頼ることがどのよな状況になるのか予想がつかないはずがなく、もっともっと積極的な原子力利用ビジョンを示して実行をすることが何よりも必要と考える。

京都議定書で1990年代のCo2排出量とするには当時6%削減し、そのままの排出量を維持させなければならないのに、既に8%を超えているため14%の削減が求められている。逆立ちしても難しい数字となっていることから排出権取引とやらで主に中国に技術もお金も垂れ流すしか解決方法がない所まで来てしまっている。
当時、国は原子力発電所を10数基作る等の構想を打ち出したが、未だに全くそのような状況にはなく、民間電力会社が様々な不祥事を吹き出させたがためと言わんばかりの無責任な態度を装っている。

政府・大臣・省庁の官僚各々縦割り社会の弊害をなくし一丸となってもう少し科学技術立国としての独自性を発揮して日本という国の価値を高めて貰いたい。それにはある意味小泉首相のような強い指導力も必要だし既成の既得権者を解放することも必要であると考える。

Monday, August 28, 2006

Amish村と遺伝子革命

「21世紀 知の挑戦」(立花隆)を読んでいたらAmish村に関しての話題があった。H18年6月アメリカに行きNYCからBaltimoreまで車で旅行しようとしてAmish村に立寄るかGettysburgに立寄るか迷ったが、単に昔の生活(文明生活を拒否して自動車も電気も使用しない、未だに馬車とランプの生活送っている村)を見るというのにそれ程興味が湧かないし面白みがないと思い行かなかった。

立花隆氏によると、ここでは18世紀にわずか24人がヨーロッパから移住してきて現在15,000人位になっているという。血液的には閉鎖的な集団として膨らんできているため当然近親者同士の結婚による遺伝的な変異が蓄積し、様々な特殊な遺伝病を多く抱えた地域だとのこと。その1つがクリグラー・ニジャール症候群(体内にビリルビンという物質が蓄積してしまう病気。血液中のヘモグロビンが分解するときに必ずできるが、普通の人は肝臓の分解酵素でビリルビンが出来るそばから排出されるが、クリグラー・ニジャール症候群の患者は分解酵素がないので放っておくと中枢神経がやられ、脳性麻痺になってしまうという。この病気にかかると24時間ビリルビン分解作用を持つ特殊な光の照射を受けながら、しかも16才になる迄に肝臓移植手術を受けなければ助からないという代物だそうだ)

このような病気を今現在進行している遺伝子革命が、不具合を起こした遺伝子の修復ではなく、代わりに正常な遺伝子を入れて働いて貰うことにより助かる道が開けてきそうだという。これはキメラプロストというDNA修復機能を持つ人工ヌクレオチド(塩基配列)だという。

21世紀の分子生物学・バイオ技術という分野が劇的に病気の治療に入り込んできているようだ。一方ではAmishのように文明生活の遮断と最先端科学の受け入れということは別としても兎も角、分子生物学・バイオ技術がどう扱われていくのか我々素人にとっても非常に興味深い技術だ。

Amish(→Pennsylvania Dutch Country)
They pronounce Amish with a broad "a" (Ah-mish).
Pennsylvania Dutchというのは17-18世紀にペンシルベニア東部に移住したドイツ系の子孫とのこと。

Sunday, August 27, 2006

区民水泳大会に参加

昨年4月荒川区に転居後はじめて夏の区民水泳大会に参加したら、年齢区分が新設されて2年目だったためか50才以上男子自由形50mがnew record(32"22)となった。(年齢区分50才以上がないため30才以上の100m自由形にも参加しタイムは、1'15"64)

今年も今日同じ大会に参加したら昨年の記録を11/100秒更新(32"11)できた。昨年から今年にかけて練習に力を入れた時と執着のない時が何回かあったが、記録から体力の維持ができていたという結果は嬉しい。(同じく30才以上100m自由形は1'15"03)

それにしても何故若者のようにもう少しスピードが出ないのか不思議な感がする。学生時代から泳ぎ込んだ人は余りバタバタしなくとも水中での推進力が不思議なほどある。手の使い方やビートの推進力の技術の問題か、はたまたストリームラインの問題で水抵抗が強いのか?
一度自分の泳ぎを見てみたい気がする。