Monday, January 29, 2007

デジタル・デバイドとデジタル・オポチュニティー



(Digital Devide & Digital Opportunity)
2006年のインターネット白書によると家庭からの日本のブロードバンド世帯普及率が約41%(2006/2時点)になり、インターネット人口は約7000万人(前年比約350万人増加)で伸び率は5.1%だという。
また、インターネット浸透率(利用場所、接続機器を問わずネット利用者がいる世帯の比率)は、約85%となっているが、インターネット世帯普及率(「勤務先/学校のみ」「携帯電話/PHSのみ」を除き、自宅の機器でのインターネット利用者がいる世帯の比率)は約57%だという。。(以上はインターネット白書より)

上記の数字を見て技術立国として世界に互して戦っていけるのだろうか?インターネット世帯普及率がやっと半分を超えたという程度である。

また都道府県別インターネット人口普及率をを見ると全国平均49.7%でやっと半分となる。県別では、全国1位は香川の71.7%、2位は東京62.2%、神奈川の59.7%、最下位は青森26.8%となっている。(以上はHonkawa Data Tribune 社会実績データ図録より)

これを見ると所謂デジタルデバイドということが都道府県別に見てもその差の大きいであろうということが気になる。このような現状を総務省はどのように考えているのだろうか、単なる県の問題ではないという気がする。
図では、携帯電話によるインターネットの人口普及率が中間線で示されているが、インターネット普及のかなりの部分が携帯電話のインターネットによっている。中間線より上はPCなど携帯電話以外の機器のみによるインターネット普及率ととらえられるということは、本格的なWEB利用はまだまだこの数字が示すより低いものと思われる。

お隣韓国の約2年前のデータでは、インターネット(人口?)普及率は男74%、女62%だというから、日本は大分遅れていることになる。

特に高齢化社会を迎えようとしている日本では、高齢者がむしろインターネットを使い日常生活が済まされるようになる工夫が必要だと思われる。そのためには、もう少しデジタル・オポチュニティー(情報機器を使う普及活動)の機会を増やしていくことが必要ではないか。

米国ではかつてインターネット等の利用度について見みると、たとえば、年収が1万5000ドル未満の世帯では、コンピュータを使って学校の宿題をやっている子供の割合は29%に過ぎない。対照的に、年収が7万5000ドルを超える世帯では、77%の子供がコンピュータを使って宿題をやっているとの記事あった。

インターネット時代において、コンピュータ操作能力・技術的知識・貧富の差によって「情報を持つ者」(information haves)と「持たぬ者」(information have-nots)の格差が広がり、教育や就職、経済活動に影響が出始め、問題が深刻化したという。

上図
下図

Sunday, January 28, 2007

共進化とは何か?

共進化とは本来生物の進化における概念であったと。
ところが経済分野における発展を促す概念としても使いやすくなったそうだ。

企業と国の共進化という面では、企業の発展による利益の増大が、税金の増額と消費の拡大をもたらすことで国の豊かさに貢献し、国が進める社会インフラの整備や補助金による先端技術の開発などは、直接的間接的に企業の発展に寄与していくという。

従業員と企業の関係についても、収穫したパイをどちらがより多くとるかで、競合関係に陥りがちな従来的な考え方を打破する事が出来るという。

従業員は、自分たちは企業から搾取される弱い存在だから、自分たちの生活を守るために、企業から正しく賃金を得るようにしないと損をする。

企業は、従業員は本来怠け者であるからきちんと働いたか注意して監視しないと、賃金を無駄に払ってしまうという心の奥では対立している関係であったと。
(以上はウェブ新時代の口コミ戦略 PHP新書 小池晋一より引用)

ところが今の日本の企業景気の好調さと一般家庭の懐具合や国民意識からして本当に共進化といえるのだろうか?

私は、小泉政権というより小泉純一郎の政治のやり方に対してある意味賛辞を送っていた。それは旧来の自民党の派閥政治と利権政治をバッサリと切り捨てるなど今までの自民党とは違うという点が感じられていたから。

しかし、所得格差の問題(パートや派遣社員など非正規雇用の全国400万世帯、人口にして約1000万人のworking poor問題)や消費税の議論回避(先送り?)の問題に対しては、もう少し真剣に問題解決に向けた対応をするのかと思われた安倍晋三政権にあっては、甘そうなマスクと目指す「美しい国日本」の言葉が示すフィーリングと行動が同じベクトルを向いているとはとても感じられない。何とか共進化に向かえる政策遂行を願わずにはいられないが、働いても働いても暮らしが楽にならない人達(ワーキングプア)の現状を打破することは、後戻りしている自民党政権にそれを望むのは難しいのか?
唐突なホワイトカラー・エグゼンプションの問題、企業減税の問題なども全体バランスを欠いた議論に見えてしょうがない。

共進化について

税徴収の公平性と使い方の透明性(合理性)って何だ?

サラリーマンであれば源泉徴収されるのが当たり前という感覚がある。経費として認められるものは、社会保険料、生命保険、損害保険、配偶者控除、扶養控除、基礎控除といった所で収入からこれら控除されたものに対して課税される所得金額となる。ところが青色申告事業者や法人にあっては、収入から経費を差し引いた金額が課税所得となる。

企業は国内外を問わず競争の激しい世界で生き残らなければ我々サラリーマンの給料も出ないことになるが、しかし、経費の計上の仕方に色々問題がある気がしてならない。しかしサラリーマンは決められた通り一律の控除で税金を払えということが継続されてきている。

戦後復興が終わった以降も相も変わらぬ公共事業の大義名分の基で湯水の如くの使い方、つまりどんぶり勘定のツケがH18年3月末で国+地方自治体の借金(約830兆円+170兆円≒1000兆円)となっている。

これらに加え政治資金や議員歳費の額や使い方はどうかと問えば、これが未だに国会議員から県知事、国の政策官僚、地方議会や議員に至るまで何時になっても自覚や透明性が見えてこない。これはお互いが刺し合う構図が見えているため敢えて触れてはいけないこととの暗黙の了解があるのか?そもそも自分の給与を自分で決めることが当然のこととしてまかり通っている。

一方選挙民にあっては、自分が選んだ政党や議員が本当に国民のためになっているのか、しっかりした仕事をしているのかチェック出来ずオンブにダッコで甘い話や目先の利益誘導型ニンジンの方向性ばかりを向いてきた。

企業は本来税金を払って一人前の社会貢献である筈。国からの公的資金投入を受け、空前の利益を出しておきながら税金も払わないのに政治献金をしようなどという発想がおぞましい。

石原都知事が導入した銀行に対する外形標準課税つまり応益負担(公的サービスを多く受けている所に多く税負担して貰う)の導入を国として何故出来ないのだろうかと思う。

「竹中教授のみんなの経済学」によればスティーブ・ランズバーグが「フェアプレイの経済学」という本に子供に説明できないことは、ごまかしだとして、経済の様々な仕組みについて小学生に説明しようとしても税のことはどうしても説明が出来ないという。この応分負担は説明が非常に難しいという。難しいといっても現に制度として徴収し財政運用している以上しっかりした説明責任(徴収の公平性と使い道の透明性)を果たして貰いたい。

Thursday, January 25, 2007

所得格差の広がりはどう表す?



小泉政権が出来た以降所得格差が広がっているというがいったいどのような数字で表すのか知らなかった。バブルの時期は1億総中流家庭(意識)以上と感じて、実際には良し悪しのとこともあったが閉塞感は殆どなかったような感じを持つ。

そこで、所得格差を表す1つの指標としてジニ係数というのがあるという。1億2千数百万人を一番所得の低い方から順に並べていくと最後は日本一の所得を持つ人となる。これを低い方から累積をとり足し合わせていく。この累計をグラフ化していくと右肩上がりの弓形になっていく。もし所得格差がなければ直線となる。湾曲が大きいほど所得格差が大きいことを示す。この直線でできる三角形の面積に対する湾曲の面積の比率をジニ係数というそうだ。ジニ係数はゼロから1までの範囲をとる。(ジニ係数はその出し方により変動するため、比較をする場合は、同じ考え方により算出したものの比較が必要のようだ)

1980年代半ばのジニ係数は、約0.32で所得格差がない社会であったと。ところが最近は、0.4に上がっているという。10年間で0.1上がるのは非常に大きい変化だという。

その他の所得格差の表し方として、単純に所得を1段階から10段階まで分け各々の段階の平均値の比率を用いる方法があるという。日本はアメリカよりやや平等な社会であるが、ドイツやイタリアより遙かに日本の方が格差が大きいと言う。控え目に見ても日本は特別平等な国とは言えないという。

「竹中教授のみんなの経済学 幻冬舎文庫より引用あり」

グラフ上:所得格差の国際比較
グラフ下:所得水準と貧富の差の相関図

Sunday, January 21, 2007

箱根大平台みなと荘へ



1/20~21にS.C 御成門の新年会が箱根大平台みなと荘で開催された。
20(土)は雨予報がされていたが、新宿をお昼に出発する頃はまだ曇り空で雨は降りそうにもなかった。ロマンスカーで箱根湯本、箱根登山鉄道で大平台といく途中雨がぱらついていたが、大平台に着く頃は止んでいた。

電車に乗り込むやいなやお酒を飲む人、お昼のお弁当を食べる人で賑やかにしていたら1時間半はあっという間に過ぎてしまった。宿に着く前にすっかりできあがってしまった人もいた。

夕食後は久しぶりの宿泊であったため、1時頃迄飲んだり話したりで女性の方は久しぶりにのんびり出来たとご満悦だった。男性軍も会社繋がりのない人達との気楽な関係のためかフラストレーションの発散ができた人もいたようで結構楽しんでいだ。

それにしても箱根の休日は、人・人・人で鉄道も観光地もごった返している。今の時期はやはり温泉目当ての年配客が多い気がしたが、若い人も結構いる。日本の家庭経済力はなんと底堅く・力強く推移しているのだろうという一面を見たような感じがした。

帰りには、箱根湯本で「湯もち」という銘菓があるというのでお土産に買ってみたが、軟らかいもちで結構な味を楽しめた。

このような和気あいあいとした新年会で、皆今年も健康で楽しく泳ぎたいという目標を掲げ、水泳を通じた健康増進・体力増強を目指して行く決意を新たにしていたようだ。

Saturday, January 20, 2007

心臓の容量(能力)は?

前回ほ乳類の一生涯の心拍数は、約20億回と記したが、我々一生涯の心臓(血液ポンプ)の血液輸送量ってどの程度になるのか?
驚くなかれこれは世界最高の高信頼・高耐久性ポンプである。人間の心臓重量は、大体体重の200分の1くらいといわれる。例えば、65kgの体重の人→65kg×1/200≒300g程度だという。たったこの程度の小さな心臓でも次のような働きをしている。

一日の心臓鼓動数:60回/min×60min×24hr≒8万6千回/日
一生涯の心臓鼓動数:1日×365日×80年≒25億回/80年間

一日の心臓の血液輸送量:60㍉㍑/回×1/1000㍑×60回/min×60min×24hr≒5ton/日
一生涯の心臓の血液輸送量:1日×365日×80y≒15万トン/80y

従来から心臓細胞は生まれた時の数が最大でそれ以上増えることがないといわれてきている。しかし、最近の研究では、心臓細胞もわずかながら再生されているのではというようなことがいわれているようだ。

人間の体の細胞は酸素が不足したり、栄養分が足りないなどの理由で死んでしまう。特に心臓や脳神経細胞は一旦死んでしまうとほぼ再生されない。例えば、数分間心臓が止まり、血液が全身に輸送できなくなると赤血球は新しい酸素を脳に運ぶことが出来なくなり、ただそれだけで脳神経細胞は死んでしまうという。

このように体にとって本当に重要な役割を果たしている心臓は大事だというが、具体的な細かなことを考えたり、思いめぐらしたりするとその重要性が身にしみて理解が出来るようになる。

東京理科大学教授 久保寺昭子著 「からだのしくみと放射線」より引用

Monday, January 15, 2007

動物の寿命は何歳まで?

人間はいったい幾つまで生きられるのかと誰しもが考える。一方、ただ呼吸をして意識もなく生きているだけ、生かされているだけではその状態をなんと呼ぶか人によって捉え方は異なる。

・最も長生きした人:120才 (泉 重千代:1865.08.20~1986.02.21鹿児島県徳之島元世界最長寿人物(男性))
・ゾウは70年
・ハツカネズミ3年
・体調1mm線虫3week

だという。
この寿命に対するいくつかの学説があるが結構面白い。

1.骨の成長に要する期間の6倍説
 犬は、骨の成長に2.5年を要する→寿命は15年
 人間の骨の成長つまり身長の伸び20歳前後→寿命120年

2.特に雌の寿命は生殖可能な時期が終了してから子供が一人前に育つまでに必要な期間を加えた年数。次の世代が育ったら自分自身は生息場所を提供するために消えていく→生物学的原則
 人間:生殖可能な時期(閉経)50才で閉経し子供の成長20年とすると70才

3.ほ乳類の一生涯の心拍数は約20億回(15億回という数字もある)といわれる。
 これ(20億回)から計算すると
 人間 (心拍数60/min):63年 
 ネズミ(心拍数600/min):6.3年 
 ゾウ (心拍数70/min):54年

上記1.のように最もらしい事が言われているが、科学的な裏付けはないそうだ。(でも結構言い当てている気がする)
2.も現状と異なる。従って、このような学説は当てにならないのか?(現状子供が何時になっても一人前に育たないため中々死ねなく高寿命化しているのか?)
3.では人間の最長寿120才は別として、平均寿命80才とすると25億回となり生物学的に揺らぎの範疇にはいるのか?いずれにしても120才は稀に見る特異的な人である。縄文時代の寿命は、31年程度だったという推測もあるそうだが、15~16才で子供をつくってある程度子育てして次の世代に譲るという循環だとするとそんなものかという気がするが、まだまだ寿命の学説は明確ではないが、DNAの解明が進み分子生物学の進歩・発展により解明される日が来るのかどうか興味深い。

Saturday, January 13, 2007

外国人入国者数

読売新聞によると2006年の外国人入国者数が810万人を超えて2005年745万に比し65万人増加したそうだ。このうち新規入国者が673万人で韓国、台湾からの観光客ビザ免除、中国からの団体旅行受け入れなどが影響したとのこと。

確かに最近都内で韓国語、中国語を話している人達が多い気がする。そんな中でやはり気になる点は習慣の違いなのか、はたまたマナーが良くないというのか電車の中で大きな声で会話、混雑時も余り周りを気にしない身の置き方、秋葉原で電気製品購入時に成金的に映る買い物姿や対応など。

日本人がかつて海外旅行を始めた時のことを思うとあまりいえないが、日本人が海外に出かけた当時と比べてみるとまだ温和しいといえるのかもしれないがやはり気になる。農協さんご一行が腹巻きに札束を入れて出かけた時期は受け入れ側の国民は同じような気持ちになっていたのだろうとおもうと恥ずかしい。

入国者の内訳を2005年の数字で見ると、1位:韓国27%(200万人),2位:台湾18%(131万人),3位:米国11%(85万人),4位:中国10%(78万人),5位:香港3%(25万人)と続く。韓国がトップで台湾が続くというのは知らなかったが、よくよく見れば前述したことから推測できる。2006年はこの比率がもっと増えているのか。

一方、日本人の出国者数は、2006年は1750万人を超えて3年連続の記録更新だというが、伸び率はほんのわずかだという。これは国際線の値上がり、円安などが影響しているという。
これだけの数の日本人が海外に出かけているが、少しは国際的なマナーを身につけてきているのだろうか?今の国内の風潮をみているときわめて怪しいといわざるを得ない。せめて迷惑を掛ける行為は是非慎みたいものだ。

南九州旅行その4(終章)

今回の南九州(宮崎、鹿児島)3日間は、非常に好印象で旅行を終わる事ができた。
その要因としては以下の通り。

1.バス会社ガイドさんのプロ意識に基づいた切れの良い、ユーモアを交えた案内で非常に好感が持て楽しく観光ができた。 (林田バスの中堂園さん)
2.ツアーコンダクターもユーモアがあり好印象で、特に買い物情報がとても良かった。(柿木さん)
3.ツアー旅行ならではのいいとこ取りの観光地等を効率的に巡ることが出来た。(クラブツーリズム)
4.ホテル、観光地での発着時間が順調にいき時間的トラブルがなかった。
5.旅行費用が相当割安であった。(羽田往復2泊3日2朝食1夕食バス代込み¥32,000)
6.印象に残る場所があった(知覧 特攻平和記念館、武家屋敷、福山 黒酢工場、焼酎麹工場等)

旅行をして感じることは、どこに行っても同じ事だが、専門の方のガイドが有るか無いかでその理解の仕方や全体把握の仕方が相当異なり、やはり現地のガイドさんの説明は、ガイドブックやNet情報とは違うということ。

全て自力で旅行(プラン・移動手段等)する場合には、やはりしっかりした下調べが必要なことはいうまでもないが、お任せ旅行であってももう少し下調べがあると、もっと面白い旅行だったのにという感が否めなくこれはいつもの事。
林田バスの中堂園さん、ツアーコンダクターの柿木さんありがとう。

Wednesday, January 10, 2007

南九州旅行 その3




砂蒸し風呂は風邪気味のため入られず。でも以前千葉で経験したためそれ程興味がなかった。
鹿児島・長崎鼻からの開聞岳の眺めは何とも美しい姿だった。屋久杉は1000年以上を経たものでないと屋久杉といわないとは知らなかった。加工場での見事な加工技術と技で素晴らしい職人芸を見せて貰った。

島津家の別邸は錦江湾を経て桜島が正面に見える絶好の眺め・景観であった。

旅程は、フェニックスH-長崎鼻(開聞岳眺め最高)-屋久杉工場見学-かるかん・さつま揚げ工場見学-仙巌園(島津藩別邸)・尚古集成館-バレルバレー焼酎麹工場(鹿児島空港隣)-鹿児島空港-羽田空港

写真は、長崎鼻からの開聞岳、仙巌園、バレルバレー焼酎麹工場

開聞岳

仙巌園

バレルバレー焼酎工場

南九州旅行 その2





黒酢については、体に良いという事と何でも畑で作ると聞いていたが、余り実感がなかった。所がこの福山地区は酢の発酵には絶好の場所らしい。黒酢が作られる過程の説明を受けて感心した。最初嫌気性発酵、次に好気性発酵が自然に行われる。昔の人の偉大さには驚く。

桜島も大隅半島側は地続きとなって薩摩半島側には10分少しでフェリーで着いてしまう。24時間制の運行が橋を架ける変わりとなっているという。この点は観光に対してどのような戦略をとるか地元の知恵の出し所だと思うが、良い効果を生んでいるのではないかと思った。

知覧の特攻平和記念館を訪れたが何とも戦争の惨さが感じられ、20歳前後の若さで散っていった若者の無念さ、両親の無念さを思うと二度とこのような戦争は起こしてはいけないという気になる。

旅程は、ホテル-霧島神宮-鹿児島湾沿い-霧島市 福山 黒酢(アマン壺による製法)-桜島港フェリーターミナル-鹿児島港(薩摩半島側)-知覧 特攻平和記念館-武家屋敷(薩摩の小京都)-池田湖(菜の花)-指宿フェニックスホテル(砂蒸し風呂)(泊)

写真は、ホテル室内からの朝日、桜島の噴煙蒸気を噴出、特攻平和記念館前母親像、知覧武家屋敷通り

福山・黒酢

知覧・特攻平和記念館

知覧・武家屋敷

南九州旅行 その1




息子の帰国に合わせて旅行にでも行こうかということで南九州を家内が選んだ。私も福岡と佐賀県は行ったことがあったが、宮崎、鹿児島は行ったことがなかったので楽しみに出かけた。お任せツアーのためか行く場所について殆ど調べていなかったが、結構いろいろな所を回る事ができて南九州の良さを大分知ることができた。
旅程は、9:30羽田空港-宮崎空港-(大隅半島側)青島(青島神社,鬼の洗濯板)-堀切峠(道の駅フェニックス)-鵜戸神社-霧島ロイヤルホテル(泊)

写真は、青島・鬼の洗濯板の海岸風景、日南海岸(道の駅フェニックス)、鵜戸神社前の海岸

鬼の洗濯板・青島

堀切峠・道の駅フェニックス

鵜戸神社
http://miyazaki.moe-nifty.com/img/udomap-800.jpg

Wednesday, January 03, 2007

2007年家族全員集合


2007元旦日の出

子供が大きくなり独立すると全員集まって食事をしたりすることが少なくなる。暮れも押し迫った12/28夕方アメリカ・ボルチモアに行っている二男が一時帰国で急きょ帰ってきた。

帰ってくるなり荷物を置いて、高校、大学、英語学校の友達などとの再会懇親会に出かけてしまい年内はずっとそのパターンで、一家水入らずでの食事とはいかなかった。

年が明けて長男の所で新年会をやるといい私達夫婦と二男,長女と長男,嫁さんと孫で新年会ができた。長男も1年2ヶ月北海道に長期出張で土日に戻ってくる状況が続いていた。やはり家族が全員集まると何か暖かみが感じられ、落ち着いた気分にさせてくれる。

この時、不思議なことに孫が二男を見ると急に泣き出し、なかなかうち解けない。おもちゃを与えたり、なだめすかしても全然効き目がなかった。次の日長男夫婦が嫁さんの実家に行く途中、我が家南千住に立ち寄ったが、その時も二男を見ると途端に泣き出してしまったと。小さな子供にはどう映っているのか不思議だ。

これからますます皆揃うことが少なくなる気がするが、それは致し方ないことだ。一番下の娘も大学卒業後3年過ぎて仕事をしているがそろそろとなってきた感じがするが、それはいつかは分からない。二男は少なくともあと2年~3年はいないと第一段階の目的達成にならない。

今では、地球上のどこにいても便利なインターネットのおかげでIP電話(Skype)やメールがあるため隣にいる感じがする。このような状況を考えると、前のブログにも書いたが、国や国籍って何だ、日本人てなんだというような感じにもなってくる。

いくら社会や世界が進歩し、進化しても変わらないのは家族という血の繋がりと高を括っていると生命科学の進歩、医学の進歩で血の繋がりは物理的な繋がりであり、人間の感情や想いの繋がりもなくなる時代が来るのか?

新年を迎えて思う

明けましておめでとうございます。
57回目の新年を迎えている。
新年という感覚はその時々で感じるものが違うのだろうか?

記憶では、小中学生頃迄は、お正月料理とお年玉というイメージが強く、どちらかというとご馳走を食べながら両親・兄弟・友達・地域の人達とゆっくり囲炉裏、ストーブやこたつを囲みながらミカン吊り、すごろく、トランプ、凧揚げ、羽根つき等をして遊んだ記憶がある。食べ物も殆ど野菜、肉、餅等自家製のものが殆どで黒豆や昆布、鮭など原材料は購入していた。凧揚げの凧作りは勿論手作り。

このような様を今都会と田舎で比較してみると、田舎には野菜などの自前のものがある程度でその他は殆ど変わらなく出来合のものを購入するという形になってきている気がする。

巷では、食に関して栄養バランス、体にいい料理方法、食材の使い方等主に生産されたものの使い方にスポットが当てられている。食材を含めて鉱物資源・エネルギー等その殆どを輸入に頼り、食材については農薬の問題など、世界を相手に何とも危うい食料調達の感を禁じ得ない。更に原油などエネルギーについても同様政治的なバランスの中で何とか調達できている感じがしつつある。中国、ロシなど国家の体制、政治指導者の体制がまだまだ胡散臭さを感じさせるのだろうか。

更には、宗教(特にイスラム)や民族的な対立などが絡んで世界が必ずしもアメリカが思う体制を好まず、中南米など相対峙する政権の進行が進んでいるという。

欧州連合もユーロ圏の中での格差(GDPで8倍)がどのような形で結束力を保てるかなど27カ国体制で約5億人の市場の今後の行く末は必ずしも安泰とはいかない感じもする。

このように世界を見てみると日本とはなんだ、日本人とはなんだ、日本人らしく生き続けていくためには、何が必要なのか、何が足らないのか、何を改革するのか、貿易立国・科学技術立国を標榜する国としては、やはり世界に対抗できる人材資源を育てる教育の問題、その人材が能力を発揮できる社会構造、奮起の意欲をかき立てる仕組み作りなど政治に求められる役割は余りにも大きい気がする。

このような中で我が安倍晋三総理及び自民党は何とも最初の小泉政治の改革路線継承の言葉とは裏腹にかけ離れた現状と仮面かぶりのポーズでは?と映ってきている。特定団体、役職、地域などの既得権者の大きい声に答えるだけでは世界に互していけないことは明らか。