Saturday, November 04, 2006

母校がなくなる

自分が学んだ学校(母校)は格別の愛着があるように感じる人が多いと思うが、私の場合既に小学校、中学校はとうの昔に学校の統廃合により姿を消している。更に追い打ちを掛けるかのように高校教育を受けた学校が来年3月をもって閉校することが既に決定している。

このように学校がなくなることには一抹の寂しさが感じられることは事実であるが、私の場合それ程その姿・形にこだわりがあるというわけではなく、それ程のショックが有るようにも受け取っていないし感じられない。

これは、担任の先生やクラス仲間との関係、クラブ活動などを通じての上級生、下級生という形で色々指導をされたり、指導したりしてお互いの関係を強く持ったり、感じて青春真っ盛りの時期を過ごしたことは確かだが、その関係以上の繋がりが学校という物理的な形で有るようには思えないし、現実思っていない。

これは、お互い同じ教室で良きにつけ悪しきにつけ同じようなことで悩み・苦しみ・楽しんだ仲間達が居なくなるわけではないため、学校という有形の姿や形にはそれ程こだわりがない。仲間はいつになっても同じ仲間だし、一緒に学んだという事の事実がなくなるということはあり得ないからである。同窓会等もそれ程頻繁ではないがやっている。

義務教育の学校の統廃合は、単に人数の問題だからそれはそれとして単純なルールに則っているため諦めがつく。しかし義務教育以上となるとちょっと趣が異なる部分がある気がする。そこは目指すべき教育に対する理念があるからで、この理念が時代と共に失われていくということは有形のものが無くなる以上に残念さ・無念さが多少残る。

それはいくら高邁な理念を掲げていても、それが表面上結果として目に見える形や思い描く価値として発揮できていないように思われたり、あるいは発揮していないように短期的には見えることにより、本当は理念の下にはしっかりした下地(カラー)が出来ていても、それがもっと鮮やかさを期待する人達に満足や共感を与えることに繋がらないからである。アメリカ式の自由競争社会の結果といえば二の句が継げなくなるが・・・。

残る最後の大学がなくなることは殆ど心配する必要はないと思うが、それとて大企業が一夜にして破産してしまうような世の中なのでこれとて先の将来まで安泰であるかどうかは分からない。いずれにしても姿・形が重要なわけではないと思いながらも、その時は多少の寂しさを感じざるを得なくなるのか?

No comments: