Saturday, February 24, 2007

ついに赤ちゃんポストの無責任世の中?

赤ちゃんポストを国が容認する記事が出てきて初めてこの用語を知った。そもそもこれはなんなのだという疑問。新聞を読んでみるといろいろ考えさせられる。

読売新聞2/23朝刊を読んでみると熊本市慈恵病院でのこと、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置だという。

厚生労働省は、「明らかに違法とは言い切れない」として認める事を市側に示した。但し、一律容認ではないという。

これは生まれてしまった新生児にとっては生命・身体に危険がさらされることは外見的にはなくなると思うが、そもそも論が違う気がする。

失われる生命が助かる、児童虐待防止法、保護責任者遺棄罪への抵触の問題など色々取りざたされているが、前述の国の弁。

法律の解釈は、そもそも論が現実に合っていない感がする。生まれたばかりの全く生きる術を知らない赤子を、育てられないからといってその後の何の保障もなく手放(放棄)してしまうこと自身が児童虐待そのものであり、保護責任者遺棄罪にどっぷり抵触するくらいの法律であって欲しい。

読売新聞 朝刊一面コラム「編集手帳」第11集(中公新書)辞書を読めの中に「親」→その人を生んだ(と変わらぬ情愛をもって養い育ててくれた)一組の男女。
「子育て」→親としての責任を負って、生まれてから身の回りのことがひとりで出来るくらいになるまで子供の世話をすること。
このようなことが書かれている。ここでも新明解国語辞典の編者は、親とは名ばかり、子育てのなんたるかを知らぬ人の多い世を嘆き、痛憤の念を込めて採録したのだろうという。(7月8日)

「滋賀県長阪優奈ちゃん(2)は、頭から熱湯を浴びせられ、棒でたたかれ死亡」、「秋田県米山豪憲君殺害の畠山鈴香は自分の長女彩香(9)ちゃんを橋の欄干から突き落とし殺害」、橋の欄干から眼下の川面に落ちていく数秒の恐怖の中で、誰に救いを求め、誰の名前を呼んだんだろう。「おかあさん」、それ以外にはなかっただろうに。(同上 7月18日)

このような記事を読むと本当に心が痛む。ほんとうの「美しい国日本」にして無責任な世の中、荒んだ世の中をなんとかなくしたいものだ。

No comments: