Thursday, May 17, 2007

慢性硬膜下血腫

3月中旬過ぎ父(88才)が慢性硬膜下血腫・水腫で緊急手術をした後退院した。入院は9日間であったが、ベッドの上では頭から血腫と水腫排出の管が付けられていたいたせいもあり、体を余り動かせない状態であったため特に足腰の筋肉が衰え歩行困難となった。

退院後はリハビリのため東京のマンション内(それまで伊豆で一人暮らしであった)の廊下で午前・午後とかなり一生懸命衰えた足腰の筋肉を取り戻すべくリハビリのため歩行訓練を一生懸命やった甲斐あって、ある程度歩くことが出来るようになり、2ヶ月検診を受けた後、昨日伊豆に戻ってまた一人暮らしが始まった。

慢性硬膜下血腫で父に現れた症状は、亡くなった母の仏さんに花を飾ろうとすぐ近くの畑に花を摘みにいってしゃがんだまま立ち上がれなくなった。左手、左足が麻痺して平衡感覚がなくなってしまったらしい。

通りがかりの人に助けられて家の前まで連れてきてもらったが、そこで今度は転んで再び立ち上がれなくなってしまった。再度通りかかった人に助けられ、病院に搬送してもらい診察を受けると、伊豆の共立病院(元国立病院)では手術が出来ないと伊豆長岡まで救急車で搬送された。

60年以上のんびりとした伊豆での暮らしがなんといっても合っていると話す。やはり年を取った後の東京は味も素っ気もない感じがするのか。近所に話し相手になる知人・隣近所の人がいるわけではない。人が活き活き生活するということは、単に暮らしが便利なだけではその人にとって満足できるものとはならない。当たり前のようだが生活習慣や価値観の違いは難しい問題だ。

近くに東京都のリハビリテーション病院があり、手術を受けた病院の先生から紹介状をもらい幸い診察とリハビリを受ける機会ができたが、父は母の看病で大分リハビリに通った経験からある程度の運動の仕方は分かっているから、自分一人でもできるという感覚を持ち、もう一人での生活が可能だと判断し、元の生活に戻っていった。

このような中、我が家では父の病気も大変であると思うが、もっと大変であったと思うのが家内であった。半日はパートタイムで勤めている中で、三度三度の食事をはじめ掃除・洗濯、午前午後のお茶など相当な負担が掛かってしまった。その反面、現実に男は誠に何もできないこととなっていた。もう少しサポートができるようにしないと駄目だとつくづく思い知らされた。

それにしても違った環境の中で暮らしてきたもの同士が短期間であれ一緒に暮らしてみると生活パターンの相違、娯楽、趣向の違いなど結構いろいろな違いがあるものだと知らされる。

誰でも歳を取り、同じ道を通ることは間違いないが、これらのギャップと如何に対処していくのか前向きな対応で乗り切って行きたいものだと思う。

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