Thursday, June 28, 2007

BAEREN BEERの贈り物


先日ドイツにアメリカから短期の交換留学している息子からBAEREN BEERの贈り物が届いた。しかし発送先はなんと岩手県の盛岡市からであった。ドイツ旅行の計画が頓挫してしまったためせめてドイツの本場のビールの味を楽しんで欲しいと息子が贈ってくれた。

ここの醸造所はかなり味にこだわりを持って世界一に挑戦するという意気込みだと。100年前の設備が残っていた設備を持ってきて、伝統的な醸造技術を使って造っているそうだ。

ビールの味に疎い私でもなんだかBAEREN BEERを美味しく感じて飲んでいる。
もう少しビールの味も含めてワインなどの味が分かるようになりたいと思う。

Sunday, June 17, 2007

しょうぶ沼公園



北綾瀬にしょうぶ沼公園という公園があり、花菖蒲40種で約5000株が咲いているという。
夕方6:50頃見に行ったが、日中は暑かったのに夕方は涼しい風が吹いていた。この時間はさすがに人出は少なくなったが、でもカメラを持った人達が花菖蒲や紫陽花の花を収めている姿が目立った。

6/11~12に花菖蒲祭りが催されたというためか今日は少し満開を過ぎた感じだった。でもやはりこの季節は花菖蒲であったり、紫陽花であったり梅雨の季節の風物詩の一つだ。

Thursday, June 14, 2007

東洋のコートダジュールと富士山




西伊豆の岩地温泉という地区は瓦屋根の色をオレンジ色に極力統一している。南仏のCOTE D'AZURを模しているのだ。青い海、白い壁、オレンジ色屋根。

伊豆の西海岸は基本的には海に溶岩が流れ込んだ急傾斜地に家々が立ち並んで集落を作っている。

これらの集落は海岸線に沿って点々と並んでいて地域地域の特徴をそれぞれ出している。

私はよく雲見温泉や石部温泉で海水浴を楽しんで、特に石部温泉では泳いだ後水着着用のまま温泉で暖まるのがとても気持ちが良かった。その隣の岩地温泉ではあまり泳いだ記憶がないが道路の上から眺める海岸と家々の織りなす景色は中々のものだ。

国道上に止まって下を見下ろすと家の屋根がオレンジ色にぬられていのが分かるが、車からでは気がつかないで通り過ぎてしまう可能性あり。写真の写りは余りよくないが通りがかりで写真を撮った。西海岸から見る富士山も綺麗だ。

ついでに同日に伊豆長岡から見た富士山も迫力があったが写真はイマイチです。

紫陽花の季節





昨日伊豆の実家に帰ったらアジサイが綺麗だった。
今日(6/14)は関東甲信地方まで梅雨入りしたという。
この時期はやはりアジサイが人の心を癒してくれる。
梅雨時の雨に濡れたアジサイは本当に清々しくしっとりした感じが何ともいえない。
花の微妙な色の違いが何ともいえない。

Monday, June 11, 2007

花や音楽のある生活


従来私は花のある生活についてあまり感心がなかった。
最近はワイフに言われたからというのもあるが、草花って結構人間の心を癒してくれることが感じられるようになってきた感がある。

しかし、根っからの草花の名前音痴で実はあまり花の名前を知らない。オーソドックスの代表的な名前はわかるものの少し草花の名前くらい覚えたいと思うようになった。

これも年代の影響かよく分からないが草花やさり気ない絵があるといい気分になってくる気がする。

更に最近は図書館からクラシックCDも借りてくるようになった。何が変化を起こしたかしれないが結構気が休まる感じがする。賑やかなテレビより軽めの音楽は結構いい気分にさせてくれる。今は服部克久の音楽畑の中から何枚か借りてきて聞いている。

いつまで続くのか知れないが食が変わるのと同じような感じなのか?

Tuesday, June 05, 2007

自宅洋式トイレの小用はどっち派?

自宅トイレで小用を足すときに立って済ます派、座って済ます派のどちらですか?

以前から気になっていた事で、大分前になるがテレビを見ていたら自宅の洋式トイレで小用をすると便器内から小水の飛散飛沫が数千のオーダーで飛散するというような事が放送されていた。

私としては、以前から結構気になっていたことなので立って済ます時、どのような所にスポットを選ぶと飛散が少ないのか、結構色々ためしてみていた。

水たまりの真ん中は基本的に飛散が多いことが感覚的に分かる。そこで色々試してみたが水表面と便器の接触面で立った位置の一番手前(便器壁面寄り)当たりが飛散が少ないのかなと思っている。

基本的に水表面と便器壁が接触する当たりは水面の面部に当てるより少ないものと感じている。

このようなことは子供が成長する時を含めて結構トイレのアンモニア臭が気になった時期から気になったことだ。当時は子供が勢い余って便器内から便器や便器外にそらしてしまうのが原因と考えていた。

それにしても、トイレ内のアンモニア臭が残ってしまう時期が大分続いたような記憶がある。このときはトイレをいくら掃除してもにおいが消えなくなってしまった時期があったように思う。

そのようなことで先のテレビの放送をみて小用時の飛散飛沫の多さに驚き、何とかならないものかと考えると座ってする方法は問題解決になる。しかし男性にとっては面倒くさいという一面があることも確か。

一律にどうするというのではなく、ジャージを履いている時など座ってすることにしている。また話は少しそれるが、最近では、朝食事後大をする時、歯を磨きながらするようになったら歯を磨く時間が確実にとれるので気に入って座ることの良さがある事に気がつく。これは小用とはあまり関係なし。

そんな事で男のトイレ事情なるものをインターネットで検索してみると清潔志向等で結構座る人達の割合が多くなってきているようだ。

だがしかし、日本のこの程度の事を気にしていたら海外旅行はなかなか出来ないという事のようです。
世界のトイレ事情の一部を参考にして見て下さい。
主にアジア
フランス

Wednesday, May 23, 2007

マスターズ春の短水路大会結果

だいぶ日にちが過ぎたが4/30(日)に春のマスターズ短水路大会(辰巳水泳場)に参加した。
出場したのは、いつもの通りで50m,100m自由形であった。今回は冬の期間に少しやる気を出して自分でじっくり泳ぎの確認したり、インターバル練習の工夫や泳ぎ方の姿勢などに気を遣って泳いでいる積もりであったが、練習回数は週2回程度と増やしたわけではなかった。

当日は、両種目とも午後で、結果は50m自由形が32"44、100m自由形が1'16"25であった。本人としては先程の練習への思い入れなどもあってもう少しいい記録を期待したが、いつもと変わらずであった。

何とも100mの最後は不甲斐ない泳ぎとなって手足が動かない状態だった。
仲間に50mのスプリットタイムを聞くと50m自由形の時より少し速かったと聞いて、75mからの自分の泳ぎが出来ていなかったのがわかった。前半の勢い込んだつけが後半一気に出てしまった格好となった。

これも隣の人に引っ張られてしまったのが影響したのだが、なんと隣の人は日本新記録を出していた。そのような人に引っ張られた自分が少し情けない感もした。全く他人の記録など眼中になかったから。

もう少し自分の泳ぎが出来るように普段の練習をしっかり確認しないといけない。いい訳となるが直前の1.5ヶ月くらい前から父の健康障害などで気持ちが少し緩んでしまったのがあったかなという反省があるが、やはり年齢がある程度になると現状維持が精一杯で、記録が伸びるのは難しいのかという気持ちになってくる。でもまだまだやれるのではという気持ちだけは持ち続けたい。

Tuesday, May 22, 2007

山崎正和氏の地球を読む

読売新聞2007.05.20掲載の「山崎正和氏の地球を読む」を読んで
タイトルに「職業の権威と責任」、「プロを敬う社会に」、「素人優位の風潮 根深く」があり、今の社会状況の一端を指摘していて同感する部分もある。ここで少し物足りなさを感じるのは、ではどうすべきかというところが余りにもあっさりしすぎている。実は何がそうさせてきたのか、そうなってしまったのかが一番の関心事である。原因が分からなければ対策の取りようがないことは明らかだから。

内容として次のような例を挙げている。
・電車の踏切に飛び込み、迷い込んだ女性を救出し自分は殉職した警察官
・親の執拗な責任追及により自殺した小学校の校長
 (報道で避難されるのは教師だけの姿)
・病院不祥事の報道が氾濫する中で医師の士気と使命感の低下
 (インフォームドコンセントが権威と責任を放棄し始めている) 
・官僚バッシング(正確なデータ対応で素人の怒り声)
・政治家(政治のポピュラリズム化)

この中でいくつかの言葉が出ているがこれらを並べると何か見えてくる気もしないではない。
・権威と権限・権威と責任感
・自己犠牲と尊敬
・社会の規範
・惻隠の情
・ノーブレス・オブリージュ(高貴なるものの責任)の低下
・自尊心
・矜持と勇気
・居丈高な親
・低頭する教師
・親の保護責任
・教師の責任
・教師の尊敬
・人知の伝統
・プロフェッショナリズム破壊
・専門性軽視
・素人優位
・医療訴訟
・患者さま
・・・等々

最後に「社会の倫理性を自然に高めるためには、人が職業人の誇りを抱き、結果として「恥を知ること」が第一である。その際、「高貴なるものの責任」は本人がまず自覚するのが当然だが、この自覚はその高貴さを社会が敬うことで支えられている。・・・社会をあげて彼らの実像を讃え、一層の使命感へとおだて上げる道はないものだろうか」という点に関して「高貴さを社会が敬うことで支えられている」には同感するが、締めくくりとして何とも空しさを感じざるを得ない。

Sunday, May 20, 2007

テレビが世の中に及ぼす影響

安部首相がいう教育再生会議の中でも議論・検討してもらいたい部分がある。それはテレビが世の中に与える影響も非常に大きいものがあると考えるからである。
よくいわれる「視聴率」の高低は業界が最も重視する指標だと。その結果、今のテレビ番組の編成となっている。

本来テレビが持つ役割は何なのかという事についてもう少し放送する側が考えるべきという点と学校等の教育にあっては、メディアリテラシーについて学ぶ機会を与えるべきという感がある。

NHKは「日本放送協会 番組基準」、民放は「日本民間放送連盟 放送基準」があるという。
NHKもそうであるが、特に民放については番組内容が現状で「放送基準」に照らして適切かどうか非常に疑問に感じる。

民放の放送基準について内容を少し引用すると、
「民間放送は、公共の福祉、文化の向上、産業と経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。
...
放送にあたっては、次の点を重視して、番組相互の調和と放送時間に留意するとともに、即時性、普遍性など放送のもつ特性を発揮し内容の充実につとめる。
1.正確で迅速な報道
2.健全な娯楽
3.教育・教養の進展
4.児童および青少年に与える影響
5.節度をまもり、真実を伝える広告 」
としている。

先日「誰がテレビをつまらなくしたのか」立元幸治 PHP新書を読んだ。テレビの品性低下について同感する所がたくさんある。
例えば、
・視聴率さえよければ番組の内容がどんなものであろうともいっこうにお構いなし
・テレビがバカを増殖させる
・ワイドショーなど興味本位に事実を伝えようとするあまり、必要もない音楽を矢鱈に流す神経
・どこを向いても韓流
・若者に媚びるドラマばかり
・お祭りの日常化(非日常の強調)
・行き過ぎた悪ふざけ
・ただひたすら情報の垂れ流し(何が重要か分からなくなっている)
等々いくらでもある。

私もそうであるためあまり大きな事はいえないが、前述の本を引用すると
「・・・テレビを見るということは、何ら努力を必要としない。与えられたものをただ眺めるのみで、そこには自主的なものは存在しない。寝ころびながらテレビという媒介を通じての政治、社会批判では、真の具体的な考え方は生まれてこない。テレビを少し遠ざけて自主的に考え行動して初めて具体的策は生まれてくるというものである。-朝日新聞 (西ドイツシュミット首相が国民に呼びかけた(1日/weekテレビを消そう)

また、こんな記述もあった。
・あなたがテレビを見ているのか、テレビがあなたを見ているのか 主役は誰だ?・・・

民放はコマーシャルで成り立っているが、ザッピング(リモコンで頻繁にチャンネルを変えたりビデオデッキ操作)問題がある。どう対処しようとしているのか? 面白くもない誇張された映像を見たくない人が多くいることがわかる。このコマーシャルを前後して同じ映像の繰り返しが頻繁に行われ視聴者を辟易させている。

放送メディアは、番組を通して良質の文化を築く役割がある。静かに思考するような番組が減ってきているという。放送局側は、謙虚さ、節度、品性など私達が大切にしてきたものから遠ざかっていっているという。

ここで再度自らの局の放送と社会への影響度合いを長期的なスパンで見つめ直して見ることが必要と考える。

Thursday, May 17, 2007

慢性硬膜下血腫

3月中旬過ぎ父(88才)が慢性硬膜下血腫・水腫で緊急手術をした後退院した。入院は9日間であったが、ベッドの上では頭から血腫と水腫排出の管が付けられていたいたせいもあり、体を余り動かせない状態であったため特に足腰の筋肉が衰え歩行困難となった。

退院後はリハビリのため東京のマンション内(それまで伊豆で一人暮らしであった)の廊下で午前・午後とかなり一生懸命衰えた足腰の筋肉を取り戻すべくリハビリのため歩行訓練を一生懸命やった甲斐あって、ある程度歩くことが出来るようになり、2ヶ月検診を受けた後、昨日伊豆に戻ってまた一人暮らしが始まった。

慢性硬膜下血腫で父に現れた症状は、亡くなった母の仏さんに花を飾ろうとすぐ近くの畑に花を摘みにいってしゃがんだまま立ち上がれなくなった。左手、左足が麻痺して平衡感覚がなくなってしまったらしい。

通りがかりの人に助けられて家の前まで連れてきてもらったが、そこで今度は転んで再び立ち上がれなくなってしまった。再度通りかかった人に助けられ、病院に搬送してもらい診察を受けると、伊豆の共立病院(元国立病院)では手術が出来ないと伊豆長岡まで救急車で搬送された。

60年以上のんびりとした伊豆での暮らしがなんといっても合っていると話す。やはり年を取った後の東京は味も素っ気もない感じがするのか。近所に話し相手になる知人・隣近所の人がいるわけではない。人が活き活き生活するということは、単に暮らしが便利なだけではその人にとって満足できるものとはならない。当たり前のようだが生活習慣や価値観の違いは難しい問題だ。

近くに東京都のリハビリテーション病院があり、手術を受けた病院の先生から紹介状をもらい幸い診察とリハビリを受ける機会ができたが、父は母の看病で大分リハビリに通った経験からある程度の運動の仕方は分かっているから、自分一人でもできるという感覚を持ち、もう一人での生活が可能だと判断し、元の生活に戻っていった。

このような中、我が家では父の病気も大変であると思うが、もっと大変であったと思うのが家内であった。半日はパートタイムで勤めている中で、三度三度の食事をはじめ掃除・洗濯、午前午後のお茶など相当な負担が掛かってしまった。その反面、現実に男は誠に何もできないこととなっていた。もう少しサポートができるようにしないと駄目だとつくづく思い知らされた。

それにしても違った環境の中で暮らしてきたもの同士が短期間であれ一緒に暮らしてみると生活パターンの相違、娯楽、趣向の違いなど結構いろいろな違いがあるものだと知らされる。

誰でも歳を取り、同じ道を通ることは間違いないが、これらのギャップと如何に対処していくのか前向きな対応で乗り切って行きたいものだと思う。

Monday, March 26, 2007

世界の所得格差




2006.12.06に世界の富裕層1%が世界の富の40%を所有と書いたが、ここでは世界各地域の貧困層がどのくらいいるかを示す分かり易いグラフについての紹介があったので参照して引用してみた。(ケネディースクールからのメッセージで紹介されていた「Gap Minder」より「格差の万人」1998年設立NGOで大学や国際機関と連携し様々な統計データを目に見える形で無料提供するサイト)(グラフ中地域別表記文字は私が挿入したもの)

2005年発表の2000年データによると最初のグラフで1日当たり収入のグラフで$1/day以下の人達は世界の人口の20%の割合を占め、それらの人達の収入はたったの2%、上位20%の人達の収入は全世界の74%を得ているという。

地域・グループ別で見てみると1日1$以下の収入で暮らす人達は、アフリカ、東アジア、南アジアで大部分を占めていることがわかる。

OECD(経済協力開発機構:ヨーロッパを中心として日米を含め30カ国の先進国)諸国は勿論$1/dayの人達はいない。世界の貧困層がいかに多くいるのか、又その偏りとその深刻さが解る気がする。
2000年時点で世界の人口60億人のうち実に12.8億人(全世界人口の21%)が1日1$以下の収入しかない。

このような状況の中で人が生き続けるために環境問題(地球温暖化に伴う炭酸ガス放出等)を含め貧困に伴う世界で起きている色々な問題を解決しなければならないという難しい舵取りをどの国も協調してやっていかなければならない。難しい課題が突きつけられている。

Saturday, March 24, 2007

「数に強くなる」を読んで

「数に強くなる」畑村洋太郎 著 岩波新書
「失敗学のすすめ」で知った畑村教授の「数に強くなる」をよんでいて感じた点があった。
数字ではなく数(かず)だという。「数字はシンボルだという」シンボルに強くなってどうする。この本は数学という抽象概念ではなく現実的な日常生活で考える本だという。

数とは①種類、②狭い意味での数、③単位であり、これらの構成要素を全部揃えて数を作った時に初めて物事の数量的な属性を記述できるという。

数に強い人、数に強い人の頭の中、頭の中で全体を作る等と言われると確かに自分からそれらの数をたどれる、創れる人が世の中にはいるものだということを以前職場で感じていた時期があった。やはりその人も普段からそのようなトレーニングというか自覚を持って仕事をしていたのだろうと思う。このようなことが書かれた本を読んで面白いものだなと思った。

また、この本の中で英米の数の数え方(意味)の違い及び単位の区切りの違いは初耳であった。日本人は当たり前のように米国式を認識しているのではないか?
英国
million:百万(1の6桁先、1000の2乗)
billion:1兆(百万の6桁先、millionの2乗)
trillion:100京(1兆の6桁先、millionの3乗)

米国
million:百万(1の6桁先、100の3乗)
billion:10億(1の3桁先、1000の3乗)
trillion:1兆(10億の3桁先、10000の3乗)

ちなみに日本(中国)

万(1の4桁先)
億(万の4桁先)
兆(億の4桁先)
京(兆の4桁先)

更に東京の地下鉄について「ハタムラ式地下鉄利用術:1駅2分の法則」で2-3-5という数字を覚えておく地下鉄を利用してどこかに行くときの所要時間が割り出せるという。1駅間の所要時間は2分、待ち時間3分、乗り換え時間5分で大体言い表せるという。これはなるほどよく言い表していると思う。

このような日常自分で基本を追って物事を考え・創ると意外と便利に賢く仕事や生活する事が出来る。軽く読める面白い本だった。

Saturday, March 17, 2007

ポピュラーサイエンスと循環論法の問題

3月15日読売新聞の「「テレビ番組と専門化」~科学的正確さを忘れるな~」(神里達博 社会技術研究開発センター・研究統括補佐 著)を読んで感じること。

田舎で育った身としては、小中学生の頃まで校長先生、教育長、町長など自治体の長と呼ばれる人達は、それ相応の見識と威厳を持っていると感じていた。ましては、大学の教授や博士号を持った人達はとてつもなく大きく遠い存在にあったことを覚えている。今でも実際には遠い存在。

ところが最近テレビ等マスメディアの影響もあって種々の専門分野の最先端の研究などの一端がそれらの専門家の科学的知識を一般の素人に向けても「わかりやすく」伝えられる機会が多くなってきていると述べている。この現象が科学的な正確さをあやふやにさせてるという面もあるというが、その通りだと思う。

特に食品(食物)と体の健康や運動と体の健康に関するテーマに多く感じる。科学的知識や知見に関して一面的な報道の仕方を強調した番組が多過ぎる気がする。

メディアの報道に対して、人の健康に関していえば、プラセボ効果といわれるくらい精神的・心理的な内面的影響が科学的によく解明され説明されていないこと。西洋医学と東洋医学の違いなどと同様に説明が難しく、ましては流された情報に反論しかねるというより、反論するエネルギーを(くだらないものへと)注ぐだけのテーマとはいえないというのが本音だろう。しかし、あたかも本当らしくまた、メディア側がバラエティー?番組化しているのか明確さに欠ける中、ワンサイドの視点を注意しようなんて気が起きない事があるのではないか?

「発掘!あるある大事典」の場合は、科学的知識とか正確性という問題ではない。捏造そのもの。
このような中、都合のいい所だけを専門家の発言、見解と称して披露される。その番組の権威付けを勝手にしてもらうように思われる。

一方、このような中で専門家としてメディアに登場する学者・評論家・研究員のメディア露出度そのものが、その専門家としての正当性に映ってしまっているという現実もある。(出れば出るほど評価される、又出る機会が出る)これを循環論法というそうだ。現代社会の中で特に科学技術の進歩とその専門分野の細分化によって、確かに自分の専門以外はよくわからない(分野が異なると急速に理解が困難になる時代=タコツボ化)ということが一般論として起きているに同感。

しかし、その最先端の科学技術の進歩を社会にやさしく伝える努力も必要であるし、真の専門家の社会性を育て高める事も含めてバランスが問われているという。社会はもっと「科学的な正確さ」と「わかりやすさの仕組み作り」といった側面に敬意を払っていくべきだと。

Saturday, March 10, 2007

石和温泉とワイン工場


少し日にちが経ったが2月末石和温泉に行って来た。
今回は温泉目的のため何処に行くと決めていたわけではなかったが、途中お昼は「ほうとう」(ひもかわうどんを野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込んだ麺料理の一種)をご馳走になり満足。勝沼では息子達がワイン工場の見学を予約してくれていた。

工場内の見学をしていると日本では珍しいコルクの木だという。もう一本あったが大雪の年に駄目になったらしい。にほんではこのように大きくなるコルクの木は珍しいというが、その珍しさを殆ど知らない。西地中海地方ポルトガルなどに主に生息するという。まだまだコルクを取るには年数が足りないようだ。コルクの木は地球に優しく環境の面からも見直されているという。

工場見学をした後ワインの試飲を相当種類できたが、アルコールに弱い私は試飲をしているうちにもうかなり酔いが回ってきた。酔いが回ってきた勢いでワインを結構買ってしまったが、ワイン工場としては宣伝と販売が目的でしっかり商売が出来ているのだろう。

どちらもハッピーでウィン・ウィンの関係であったのか?

桜の花の次は菜の花



3/7~8と南伊豆に行ってきた。既に南伊豆下賀茂・青野川両岸の桜は葉桜となっていた。やはり今年は暖かいからであろうか。桜祭りに観光バスで来る人達は大勢いるが、葉桜を見て帰るという感じでがっかりであろうと気の毒に思う。自然相手でその季節ならではの観光もなかなか難しい。

近くの畑一面(弓ヶ浜の手前)に咲く菜の花は何処に行っても今咲き誇っているが、まとまると結構見応えがある。南伊豆といっても丁度この7日~8日は全国的に寒さが強く結構吹く風も冷たかった。菜の花畑の後ろ側(弓ヶ浜方面)を望む景色がもう一枚の写真。

でもやはり春がそこかしこにやってきている感じがする。

一人暮らしをしている父の具合が少し心配で様子を見に行ってきた。もうすぐ89才となるがさすがに体のあちこちが高齢化の影響からかかつての面影が見られなくなった。体はエイジングしていても気持ちの持ちようなどについてはまだまだ見習うべき点が多い。いつも感心をする。あの年齢になってもへこたれない強靱さが何とも羨ましくパワーを貰う感じだ。何事にも弱音をはいたり沈んだりすることがないが、この年齢になってあまり頑張らないで欲しいと願う。今の時代に育った我々とはどこか違う。

Thursday, March 01, 2007

主要国のCO2累積排出量割合



ジェームズ・ハンセン コロンビア大学教授の研究論文発表によると産業革命以降の250年間に世界中から放出された炭酸ガスの累積は、下記の通りだという。(GlobalWarming:Connecting the Dots from Causes to Solutions (Dr. James E. Hansen 26 February 2007)及び読売新聞2/27より)

①米国  27.8% 
②中国  7.8%
③ロシア 7.5%
④ドイツ 6.7%
⑤英国  6.1%
⑥日本  3.9%
⑦インド 2.4%
⑧,⑨カナダ・オーストラリア3.0%

○他のヨーロッパ諸国18.3%
○他の世界の国々  12.5%
○船舶/航空機    4%

これを見るとアメリカが世界の中でも突出した炭酸ガス放出国であることが分かるが、今現在温暖化防止条約を批准していない。
しかし、徐々にではあるが危機感を抱くアメリカ人が増えていることも確かである。それは、アカデミー賞を受賞したアル・ゴア前副大統領の「不誠実な真実」(最優秀長編ドキュメンタリー賞、最優秀歌曲賞2部門受賞)やカリフォルニア知事のシュワルツネッガーらが積極的に余りか国民に訴えかけていることも功を奏しているといえる。

国連加盟国が192カ国?あるため9カ国(約0.5%弱)で65%を占めていることになるが、国の数で排出量を見るのは余り意味がない。人口割合で見てみると9カ国で約32億人で世界人口が63億人(2006年)であるため約50%の人口が65%の炭酸ガスを放出していることになる。これは中国、インドが含まれているため人口が多くなっているが、これら2カ国は絶対量としてどんどん排出量が急速に伸びていく国であることから、排出量はすさまじい量になるものと予想される。

ますます地球はどうなっていくのだろう?という気がする。東京は1mの海面上昇でも広範囲に渡って0m地帯が出てしまう。温暖化問題は先進国と発展途上国といった問題が絡み非常に大きな問題であることは確かだ。

Tuesday, February 27, 2007

CCBOXと交通混雑緩和って何だ?

C:Community,Communication,Compact
C:Cable
BOX:Box だそうだ。

一つ目の「C」には、"地域社会"、"通信"、"小型・軽量"の3つの意味があり、
二つめ、三つ目はCable Boxでケーブルを入れる箱で、電線類のみを収容する共同溝というのだろうか?
この共同溝の呼び方は地域によって異なり、関西では、"電線共同溝"、関東では"CCBOX"と呼ぶ傾向が強いという。しかし、CCBOXという呼び方を知らなかった。

都市型災害対策や管の老朽化対策の促進、シールド工法、内面被覆工法、管の取替・更正の非開削工法等積極的活用及び新技術の導入等により電気、ガス、水道共同溝に纏められたものに対する増設・改修工事等の時期を調整することにより道路状況を悪化させないで済むようになってきている。

都内の道路混雑は、まだまだどこに行っても免れられない状況ではあるが、一時期に比較すると少しは解消されてきている気がする。道路混雑は工事による影響も大きいが、一方では、信号機の赤・青時間の適切な間隔管理がなされていないことによるものも大きいのではと普段から感じている。また、都心の中心部を通過するだけの車が入ってこなくても目的地に行けるような道路整備なども行われてきている。

この道路工事による混雑解消対策について東京都は結構取り組んでいることを知った。この報告書(新たな東京都区部路上工事縮減五箇年計画)
によると

東京都は、23区の道路混雑の緩和策としてH4年に比較し、H14年度は道路工事規制の半減を目指して半減させたそうだ。しかし、縮減されているという実感がないといった道路利用者の不満の声がある。

そこで更にH14年に比しH19年度までに20%縮減する目標を立てているそうだ。報告書によると、H14年度の規制日数は、124,440日であり、
H14年度規制時間(推定)は、1035時間/km・年
年間規制時間(時間/km)=工事日数×道路使用許可申請時間/道路延長=124440日×9.0h/日/1,082km=1,035.1時間/km

※道路使用許可申請時間は1工事当たりの概算実績値
 道路延長は国道(10路線):164km,都道(137路線):921kmだそうだ。

この1035時間/kmを多いと見るか少ない(減った)と見るか各々立場立場で当然異なると思う。だがしかし、一般にいわれる掘り返しては戻し、また掘り返すという光景が減ってきていることは確かだろうと感じている。これが電気、ガス、水道など電線共同溝のお陰なのか?

次は、都内の交通信号間隔の地域のミクロ的な都合による設定から、都心全体としてのバランスの取れた信号時間間隔として全体最適(適切)に向けた取り組みに是非向かって欲しい。人がいてもいなくとも、車が多くても少なくとも常に一定間隔の信号時間は何ともエネルギーを無駄にしているし、炭酸ガス排出を助長している気がする。

Saturday, February 24, 2007

ついに赤ちゃんポストの無責任世の中?

赤ちゃんポストを国が容認する記事が出てきて初めてこの用語を知った。そもそもこれはなんなのだという疑問。新聞を読んでみるといろいろ考えさせられる。

読売新聞2/23朝刊を読んでみると熊本市慈恵病院でのこと、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置だという。

厚生労働省は、「明らかに違法とは言い切れない」として認める事を市側に示した。但し、一律容認ではないという。

これは生まれてしまった新生児にとっては生命・身体に危険がさらされることは外見的にはなくなると思うが、そもそも論が違う気がする。

失われる生命が助かる、児童虐待防止法、保護責任者遺棄罪への抵触の問題など色々取りざたされているが、前述の国の弁。

法律の解釈は、そもそも論が現実に合っていない感がする。生まれたばかりの全く生きる術を知らない赤子を、育てられないからといってその後の何の保障もなく手放(放棄)してしまうこと自身が児童虐待そのものであり、保護責任者遺棄罪にどっぷり抵触するくらいの法律であって欲しい。

読売新聞 朝刊一面コラム「編集手帳」第11集(中公新書)辞書を読めの中に「親」→その人を生んだ(と変わらぬ情愛をもって養い育ててくれた)一組の男女。
「子育て」→親としての責任を負って、生まれてから身の回りのことがひとりで出来るくらいになるまで子供の世話をすること。
このようなことが書かれている。ここでも新明解国語辞典の編者は、親とは名ばかり、子育てのなんたるかを知らぬ人の多い世を嘆き、痛憤の念を込めて採録したのだろうという。(7月8日)

「滋賀県長阪優奈ちゃん(2)は、頭から熱湯を浴びせられ、棒でたたかれ死亡」、「秋田県米山豪憲君殺害の畠山鈴香は自分の長女彩香(9)ちゃんを橋の欄干から突き落とし殺害」、橋の欄干から眼下の川面に落ちていく数秒の恐怖の中で、誰に救いを求め、誰の名前を呼んだんだろう。「おかあさん」、それ以外にはなかっただろうに。(同上 7月18日)

このような記事を読むと本当に心が痛む。ほんとうの「美しい国日本」にして無責任な世の中、荒んだ世の中をなんとかなくしたいものだ。

Wednesday, February 14, 2007

ソフトパワーとは?

「ソフトパワー」という概念はハーバード大学教授のジョセフ・ナイ(1990年)によって初めて提示されたという。「ある国が、自国の望むことを他国も望むようにさせることによって、望ましい結果を得る能力」で、特に重要なのは、文化や価値、イデオロギー等の魅力であり、国際社会における課題(アジェンダ)設定能力だという。

ソフトパワーとは、より微妙で間接的な力の行使の形態。たとえば、BがAにとって望ましい行動をとることが自らの利益になると考えて、自発的にそうする場合には、AはBにアメやムチを使って直接的にBに働きかけなくとも、自然に好ましい結果を得ることが出来る。

あるいは、Bが、Aにとって望ましい行動を促進し望ましくない行動を抑制するような規範や制度に従うことが自らの利益になると考え、自発的にそうする場合にも、Aは望ましい結果を得るために、ハードパワーを行使する必要がない。

ソフトパワーとは、「命令や強制によってではなく、自分の持つ魅力によって、そのような状況を生み出す力」のことだという。(ポストIT革命 ソフトパワー 日本の復権への道 竹中平蔵著より)

日本のソフトパワーって何だろう?
ある人は、日本の銭湯(温泉)文化やウォッシュレット文化がその一つだという。
これは、銭湯は見知らぬ人と並んで裸で湯船に浸かるという行為は単純だが、ここが日本らしさを感じさせているという。それは、単に風呂や温泉設備が整っているだけではダメで、比較的安全でそこにいる人達の信頼関係が保たれた公共の場と衛生を心がける姿勢、自然と身体についてのきちんとした考え方が欠かせないという。銭湯(温泉)に入った後は誰もが、何とも言えず穏やかでゆったりしたいい気分になる。清潔感と充足感から自然と気分が高揚し、心身共にリラックスした状態になる。

また昭和の時代(1926~1989)、トイレは地面に掘った穴の上にかがんで用を足す汲み取り式から「ウォッシュレット」まで進化した。コンピュータ制御されたビデ付き便器で、温水や冷水での洗浄、温風乾燥などの機能を備え、使用音を消すための効果音やMP3形式の音楽再生が出来るものまであるという。近い将来は、尿検査や妊娠検査機能も組み込まれるという。

ある技術が普及するまでの流れはさまざまで、自分たちの文化習慣を押しつけることもあるが、魅力的で選ばれていくような力は、即ちソフトパワーだ。

日本に住んだある外国人がなくてはならないと思うものに銭湯の文化とウォッシュレット文化だという。(銭湯とウォシュレットにみる日本の「ソフトパワー」より)

Tuesday, February 13, 2007

AN INCONVENIENT TRUTHを見て

不都合な真実」を漸く見ることが出来た。
六本木ヒルズのTOHOシネマは狭い所のためか、当日券は今回も売り切れていた。2/4に行った時はやはり売り切れていたため見られなく、2日前からの前売り券を買ったが、連続席は昼前だというのに既になかった。

人間の産業活動から排出される炭酸ガスや他のガスにより地球が温暖化していることを多くの科学者は認めているという。地球温暖化の原因や今地球で起きている事、或いは起きようとしていることについてAl Goreはシンポジウム、講演、大学の講義形式的なさまざまな形で真剣に訴えかけている。

温暖化の原因は我々にあると。
・パタゴニアの75年前の姿(風景)(南米南端地方アルゼンチン・パタゴニアとチリ・パタゴニアがある) 
・キリマンジャロ(アフリカ・タンザニア)の30年間と昨年の雪の量比較と今後10年で雪は消えるだろう
・ハリケーン・カトリーナがニューオリンズに上陸等カテゴリー4や5の巨大ハリケーンの数がここ30年で倍増した
・海抜2000m以上のアンデス山脈でマラリアが拡大
・グリーンランド氷河からの氷の流出は過去10年で倍増
・動植物の約300種は温暖化により追い詰められている

更に今後温暖化が継続すると悲劇的な結果を招くと。
・北極の氷が溶けだしやがて海面は6メートル以上上昇するする。するとフロリダ半島は水没し、世界貿易センター跡地も海の底となる。犠牲者は上海で4000万人、カルカッタで6000万人
・避難民の数はやがて1億人に達する
・頻繁な熱波の襲来
・頻繁な干ばつや野火の発生
・百万種以上の生物の消滅 などなど

1000回以上の講演をこなしたという。
Al Goreは訴える。我々はこの地球温暖化をくい止めることが可能だと。小さなことの積み重ねが大きなうねりとなり地球温暖化をくい止められる。今、何らかの行動を起こす時期に来ていると訴えている。

また、Al GoreとBranson(英国億万長者)が温暖化ガス削減(Greenhouse Gas-Reduction Prize )に貢献した人に日本円で約30億円もの賞金を設定したと。